IT装備の縄文村を構想中(1)。マネーなしで生存し、物的にも発展する道。

こんにちは。
日本列島の歴史をつぶさに振り返ると、面白いことがあります。
大陸に強大な、統一の国家権力が生まれ(始皇帝、前漢武帝、さらに王莽のあとに、後漢の光武帝)、文字が統一され、法律も通貨もあり、政治概念での権威も、経済活動での「富」も十分に確立し、その奪い合いや移動に関する基本ルールも整っていく頃、その影響が日本列島にどのように出ていたのか、文字文献では分らない、ということです。
現存する日本での文献は712年の古事記が最も古く、645年に蘇我蝦夷が焼いたとされる国記などはありません。通貨に関しては、720年に纏められた日本書紀に、ようやく天武時代の683年に通貨(富本銭)を作らせるという記載がありますが、実際に日本列島の統治体が作り出し、流通させたのは、708年の和同開珎が最初でした。
3000年前に最初に水稲稲作が日本列島に入ってから後、始皇帝が大陸を統一する過程で、金属器(青銅器)の製造方法が入り、前漢武帝の頃、大陸では司馬遷が正史として史記をまとめ、落下コウが農歴を作り出すなど、統治のための「宇宙観」「世界観」が出来上がっているのですが、列島で王権らしきものが生まれるのがこのころで、そのあとに、鉄器の製造技術が入ったようです。(鉄器は穀物生産量を爆発的に増大させ、もめ事・抗争も生まれます)
この時代の、列島での人間社会の経済行為がどうなっていったのか?これが分からないのです。考古学的発見や、文化人類学、経済人類学、言語学などの視点を駆使して、その時代の人間の幸福感を探り出すしかありません。
 
一貫しているのは、すぐ隣の大陸に、皇帝という存在が常に在った、ということです。
その人物が持つ権威と、その人物のもとに動員できる人間が作り出す権力が、多くの抗争を常に引き起こしていました。このときの影響を、列島の人間たちはどう受け止めたのか?北海道から東北・関東・中部・関西・中四国・九州、そして沖縄。大陸で確立した文明の利器の受容や、権威・権力の影響などは、大陸や半島との距離と、大いに関係するはずです。 
それを、受け止める列島側に、どんな基準やこだわりがあったのか、ここが最も肝心です。
 
始皇帝による通貨・文字・度量衡の統一や泰山封禅がなされたのがBC219。それから約900年間、日本列島では通貨が出てこない。ではこのとき、通貨の機能:価値の尺度、交換の仲介物、富(資本)の蓄積の手段 は、なんで代替されていたのか? 何を、列島人は、嫌っていたのか? ということです。
 河内地方にある巨大古墳には、間違いなく、何万人もの人間の労力が動員されたはずですが、そこには、通貨が見えません。応神・仁徳の時代で、これは5世紀の初めです。
(その応神=ホムダワケの御陵は羽曳野にあり、今でも9月15日に応神祭が開かれ、ここでは1600年にわたって、この大王の遺徳を偲ぶ人間がこの祭りに喪服で参加しているのですが) 
683年に天武がようやく、国史編纂とともに、通貨を作らせる勅を出し、富本銭の試作品が作られた。その前、667年に天智が近江大津京を築くとき、小さな銀の塊「無文銀銭」を労働者工賃のように配ったのですが、
 それまでの、巨大建造物の築造~例えば:古墳時代(3世紀後半から6世紀まで)のみならず、飛鳥時代の斉明天皇の「狂心の渠」~ では、通貨が使われていた跡がありません。
正式な通貨は、大宝律令の制定後、粟田真人が洛陽にいき、国名「日本」を武則天に認められてからあと708年に秩父に銅鉱石が見つかって、ようやく和同開珎ができました。これは、平城京建設の工賃として使われましたが、この通貨も列島ではなかなか普及しなかったのです。
 その前、飛鳥時代は、大化の改新では税に租庸調の現物の供出が中心で、それ以前は、役務の提供(奉仕)があったはずですが、これは、強制的な奴隷働きだったのでしょうか?
ここまでで言えることは、大陸の文明体系と接触するとき、その文明がもつ利器のなかから、この900年間、列島の人間は自ら生活改善に役立てるものを取り入れたが、このとき、一つの明確な基準があったのではないか、ということです。
 いろいろな段階で、多くの様々部族が列島に到着していたのは間違いなく、このとき、表意文字である「漢字」を持ち込んでいたものも、いるはずですが、列島独自の統一された文字はまだ確立されてない段階です。そこでは、現実生活のリアルな豊かさ、便利さに、寄与するかどうかのみを見ていて、イノチの響きから離れなれかった姿が目に浮かぶのです。
 2020年には東京オリンピックが予定されているのですが、この年は日本書紀の編纂(と同時に不比等の死)から、1300年です。そして今年は、明治維新から150年です。この150年間は、完全に国家権力と金融制度が一致した時代でした。その後半の75年は、日本列島でできた、国家の金融制度が、宗主国のアメリカのみならず、ODAを通じ、海外の人間も日本列島内の富の蓄積を利用した時代でした。
 明治からの近代化とは何か?それは、この150年間にわたって、列島に生きる人間の汗の結晶である「国富」を、天皇を権威とする制度を動かす人間によって、集中され分配・秘匿されたことです。
 しかし、今、その制度が、列島内の人間のリアルな豊かさを、食いつぶすばかりではないのか? 人間のイノチの尊厳も、踏みにじるばかりではないのか?これでは国富を作り出す人間もいなくなるが、それをロボットで置き換えようとしているのか? それには、ロボット化した人間と、人間化したロボット。
 こう思えてならないので、私案(試案)ですが、まず、生きている生身の人間の尊厳を守り、しかも、間違いなく、物的にも精神的にも豊かになれる道を考えます。
以前、中里博士となんども話したテーマですが、勝者・敗者を産んでしまう私的所有権をダイナモとする経済発展の論理と、国家での救済という福祉の論理 を超克する、方法を探ります。今のグローバル化時代に、ITをつかったSNS,さらにAIの活用で、場合によって、私的所有権を消して、自然環境を美化健全化しながら、誰もに、物的・精神的に豊かさを感じられる現実を作り出す方法を、考えたいのです。

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この記事を書いた人

新井信介

1957年長野県中野市生まれ。東京外国語大学(中国語専攻)から住友商事を経て独立。中国の改革開放に立ち会い、独立後は西欧世界にもネットワークを構築。地球史の視野で、国家・宗教・マネーの意味と構造を探り、個人の可能性(想像性・創造性)と、普遍的文化価値を探求している。そのために、『皆神塾』を主宰し、会員制の『瓊音(ヌナト)倶楽部』も立ち上げて、研鑽を深めています。