(続き)
エリート・中産階級が統治集団と距離を置くようになり、庶民も統治集団と距離を置き、中国は三つに分断されることになった。楊建利によれば、これは習近平にとって大きな危機のはじまりだという。
ゲーム理論になると、二人のプレイヤーが三人のプレイヤーになり、中国共産党独裁の基盤が揺るがされる。次に、共産党統治の正当性の三つの根拠、経済発展、ナショナリズム、軍事力のうち、経済発展そのものが揺らぎ、そのバランスをとるために、ナショナリズムと軍事力を利用せざるを得なくなる。その結果、周辺国家と摩擦を起こし、外部の敵をつくることで、政権の維持をはかろうとするようになる。これが、今の習近平政権の状況だという。
だが、こういうかつてないほど共産党統治が不安定な状況だからこそ、民主化運動にとってはチャンスもあるのだという。
「いますぐ、革命は起きるとは思っていないのですが、それが起きるときのために準備を整えておくことが今必要だと思います。民主化には、四つの条件が必要です」
四つの条件とはつまり、①政治の現状に対する普遍的かつ強い不満、②持続可能な全体的な生命力のある民主化運動、③共産党指導部の分裂、④国際社会の承認と支持。
このうち中国にすでにあるものは①だ。
エリート外の10億人以上の中国人はおおむね現状に不満を抱いている。それどころか、習近平政権の反腐敗キャンペーンによって中産階級、エリート層にも不満が広がっている。
②は現在は存在しない。だが、習近平の反腐敗キャンペーンによって統治集団から離反した政治・経済エリート、中産階級が底辺の庶民層との関係を回復すれば、民主化運動の新たな勢力を形づくることができるかもしれない。
③指導部の分裂も、激しい権力闘争は継続しているが、決定的な政治路線の違いによる対立はまだ表れていない。だが可能性は存在している。その可能性を示したのは、クーデターを起こそうとした薄熙来だ。今の統治システムに不満を持つ指導部は存在する。指導部に分裂が起きたとき、それに呼応して、②の民主化運動が起きやすくなる。
そして最後に重要なのが、国際社会の支持。天安門事件のとき、もし国際社会がもっと積極的に中国に干渉していればどうなったか。
<日本よ、民主共同体の盟主に>
楊建利はここで、今の中国の現状についてこう警告する。
「習近平政権は、総書・国家主席二期目10年の統治システムを変更して、三期目も権力を維持する個人独裁化を進めようとしている。これは従来の共産党秩序、システムを破壊しようとする動きだ。
となると、習近平政権が三期目を続けるには新たな正当性の理由が必要だ。その正当性の理由付けとしてありうる可能性の一つは選挙だ。習近平が“人民の選挙による大統領”であれば、その権力の正当性は建前上認められる。だが、独裁志向の強い習近平により選挙が導入されたならば、不正選挙の似非民主であろう。その似非民主もうまくやれば、やがて本物の民主になる可能性もあるが、むしろユーゴスラビアの大統領のミロシェビッチのような結末になる可能性が強い。
もう一つの可能性は、何らかの政治的危機を演出することだ。非常事態を乗り越えるために、経験豊かな習近平が三期目も総書記・国家主席を続投する、という理由になる。その政治的危機とは、戦争の可能性がある。そのシナリオを考えて対策を立てる必要はあるだろう」
おりしも、米国ではトランプ政権が誕生し、国際社会の旧来の秩序も変革に差し掛かっている。戦争、紛争の火種はあらゆるところにあり、また揺るぎないと思われてきた人権や自由や民主の普遍的価値観よりも、自国の利益を最優先に考えることが、先進国の間でもトレンドとなってきた。楊建利は、トランプ政権が当初のような対中強硬姿勢を今後も貫く可能性について「まだどうなるかは不確定だが、あまり期待はしていない」と語り、むしろ米中二強国によって世界が振り回されることを懸念する。
そういう時代だからこそ、日本に期待を寄せたいという。
「アジアで最も経済実力を持つ民主化された先進国である日本に、アジアをカバーする民主共同体の盟主となってほしい。中国の民主化運動にもっと興味をもってほしい。かつて辛亥革命を手伝ったのも日本人でしたね。中国が民主化し、共通のルールや価値観のもとで、話し合いで問題を解決できる近代国家になれば、日本にとって一番の安全保障になると思います」
国際秩序の大きな変わり目を迎えた今、そろそろ日本の担うべき役割や責任を真剣に考える時期ではないだろうか。
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かつての辛亥革命を手伝った日本。
その主役に、表では梅屋庄吉がいた。皇族にも支援者はいた。また、周恩来が日本に留学していたとき、京都では、金井敏伯氏いわく、京都の金井邸に泊まっていたと。嵐山には、周恩来の歌碑がある。
安倍政権の背後の日本会議の面々は、反北京の姿勢で政治的に固まるばかりで、日本を語る、自分自身のその精神の基盤について、まるで、冷静で科学的な研究をしてこなかった。
日本の皇祖神アマテラスの起源を突き止めることもしなければ、20世紀の近現代史で、なぜ、日本が大陸に侵攻するようになったか、冷静な議論もしなかった。
皇祖神・アマテラスは、いつ、その呼称(記号)が生まれたのか? そのときの権能は何か?
そもそも、その権能の起源となるものと、王権はどう関係したか?王権の発生は、何時で、その権威は、どのようにして日本列島で感知・発生し、政治的なチカラへと、生成・発展していったのか?
戦後になっても、政治的に愛国を語る人間たちの知的怠慢が、皇国史観のあやふやさをそのままに、政治的な利権化しようする、スケベエ根性と一体になって、森友「アッキ-」事件を引き起こした。
では、今後、東アジアに、誰もが納得する、共通の価値観を確立するには、どうするばいいか?
まず、基本になる出発を知らないといけない。東アジアでは始皇帝の登場が、政治的権威(正統性)の出発だ。
さらに、皇帝そのものの神聖さの問題だ。宇宙を統べる「太一」は、皇帝ただ一人に体現されるとしたのが前漢の武帝劉徹のとき。これは儒教の董仲舒が政治的に決めたが、実は、その武帝の即位に合わせ、淮南王の劉安が諸子百家を集め、「淮南子」を編集していた
。ここには、宇宙を統べる「太一」と、個々人の心の宇宙の関係が、「道」によって、解説されている。
こうした、中国の古代の叡智と、ヘブライ人が新旧聖書をまとめた意味を、鎌足も不比等も、知り抜いた上で、国史となる、記紀を編纂させたのではないか。
その上で、神代編が作り出され、皇祖神アマテラスの物語が登場する。私の仮説は、今、ここに来ています。
ps : 日本で有名な金印。これを受けたのは、後漢の光武帝劉秀の即位の後だった。劉秀ほど、人間の価値、大切さ、すなわち、「民主」を理解していた皇帝はいないのではないか。「項羽と劉邦」と「三国志」の間の時代に登場する大人物です。