これまでの、枠組みが壊れだしているのなら、
それに頼らないで、生きていける暮らしを立てればいい。
科学技術と、金融と、国家の制度が、既得権を維持する、「ごまかし」のために、
使われてきて、不幸や醜悪さが拡大した。
だったら、「ごまかし」を一切しないで、
いい現実をつくろう。
それも、出会う人が、どんどん、喜んでくれるような。
へんな、化学薬品や、過剰な電磁波、放射能のない、 ピュアな自然のなかで、
高い文化芸術性があって、しかも、快適な暮らしのできる「エリア」 を 造り出そう。
多くの場面で、マネーを介在させないで、どんどん、労働資源を出し合っていく世界。
自然と一体になる。
日本列島の中で、定着していた縄文人の観察力と感応力は、精緻を極めた。
それを、 シュメール発の計測力と分析力で、 法則性を見出して、現実に生かす。
このとき、想像力と創造力が総動員される。しかも、一人じゃできないから、仲間が必要だ。
ここで、問題。 「現実に生かす」とき。
自分と、自分の行為の対象である他者をどうするか? このとき、人間と、それ以外の扱いは?
個々人を尊重しながらも、全体で、どうやって調和するか?
それぞれの人の視点で、いい現実を作り出そうと、それぞれがいろいろ試す。 いいものは学べばいい。
カネを増やすことを目的にするのではなく、 いい現実を、作り出すこと。
当然、そこには、納得できるルールとシステムが生まれるが、いいものなら、広がっていく。
大自然を完全に味方につけ、自分のイノチそのものと感じていた縄文人に倣いたい。
何かを獲得する喜びよりも、生きていること自体が感動する喜び。
喜びって何ですか?
イノチの大きな流れの中で、「こころ」が、どんどん繋がっていくこと。