こんにちは。
人間コピー機、人間演算機を大量に作ってきた日本の教育。
世界中から、これは使える、という新しい知見を取り上げ、制度化し、さらに、そこに、利権をつくる。
これが、明治維新から日本の政府、文部省が行ってきたことです。
自分を取り囲む森羅万象、そして、自分自身の肉体、そして、精神。
これがどのような関係になっているか、 じっくりと考えさせることがありませんでした。
常に、意識の先に、「お上」や既存の「制度」があり、この中で、自分の生活を成り立たせることが先でした。
ここには、既存の「枠」に対する絶対信頼、盲目的な服従がありました。
まともな、権威があり、そこが作った「枠」ならば、安心だ、という共通理解があったのですが、
さて御用学者と大本営発表 という構造が、戦後になっても、そして、311以後も、そのまま残っている日本。
どんな制度にして、どう解釈して、国家を組み立てるか、そのための人材輩出機関だった東大法学部が、
今、人気急落中とのことです。
これまでの制度、権威の誤りをただす機能が、この大学にはないから当然です。
「依らしむべし、 知らしむべからず」 で、 これまで、 国家を食い物にしてたのですから。
しかも、国民を、「考えない、銭くれロボット」にして。