こんにちは。 日本社会が、今後、どこに向うか、考えています。
かつては、一部の王族・祭祀階級が、国のルールを決めました。 神がかり、神託、王権神授説。
これに対し、反発したのが、国家の機能を機械的に考える知性集団のフリーメーソン。さらに、自分こそが新しい地上の秩序の創造者だと、自負し、攻撃的に動いたのがイルミナティーの面々。
彼らが、旧体制を壊し、誰もが政治的主権者とする民主主義の考えをもたらした。
これは、近代国家の成立を促します。
しかし、同時に、国家に中央銀行を作らせ、そこがペーパー・マネーを発行する時、一分の人間達の秘密の共有が始まった。ちょうど、産業革命の後。
マネーは、本来、その国のもつ生産力(人間社会に豊かさを与える力)とともに、増えていくべきでしたが、マネーを手にすれば、何でも入手できるとなると、この生産力のことが、あまり省みられなくなり、 他者が生み出した富を、自らは何も生み出さないまま手に入れる、詐欺や略奪の要素が深まりました。
18世紀以降に誕生した、各国の中央銀行は、当初は、金塊をどれだけ保有しているか、が、マネーの発行量や、その信任性(その国の通貨が、着実に、実物を買えるものであるとする信頼の度合い)の指標でした。
18世紀後半から19世紀の初めまで、日本から大量に流出した金塊は、一旦、ボルネオ島に集められたあと、『客家』の秘密業務として、《四海同胞》の理想のもとに、各国に届けられました。
しかし、この金塊と、各国政府は、直接の関係はありませんでした。各国の政府は、中央銀行が発行するマネーに関し、それをどう使って運営するか、を決めて実行する組織ですが、 このときの金塊移動に纏わる権限は、歴史的な権力者達、すなわち、王族や祭祀の代表たちが、関わっていたようです。
日本の場合は、当然、金が流出したとき、すなわち、江戸時代末期の天皇家、そして、それを支える五摂家に代表される公家、さらに、天皇家が誕生する以前からの、古い古い王族の末裔がそれに関わっていたようです。
明治維新は、伊勢に祀られていたアマテラスを、国家の中央集権化のシンボルにし、策略と武力で実権を握った明治政府は、自らが作り出す法律の絶対性、無謬性の根拠を、そこにおきました。
薩長などの門閥の代表と、公務員試験に受かったエリートの人間たちが、海外の成功例のなかから使えるものを探し出し、これを制度化する。国民は、それに従わせる。自分たちが創った枠組みの中で、時間内に正確に業務こなせるものを、どんどん取り立てる。
時代時代に合った枠組みを構想できる人間を、取り立てているうちは良かったのですが、多くの制度が、既得権として利権化し、その受益者が多くなりすぎて、制度が壊せない。
特に、その制度の管理運営者自体が、まず先に、自分の待遇の確保を求める。 これに、本来、立法府であるはずの政治家たちが、自分の支持者の利益を優先するために、次々、丸め込まれる。
そして、国家財政は、巨大な赤字になり、また、制度改革が、なかなか進まない。
そうした日本の姿を、さて、18世紀に、中央銀行に金塊をもたらした関係者(直系子孫)は、どう見ているだろうか?
今の問題は、 制度とマネーに縛られすぎていること。
生きている現場を、共有している。そこには、多種多彩の人間がいる。
それならば、その現場を共有している人間同士で、自分でルールをきめて、活動し、しかも、域外の人間がほしがるもの、歓迎するものを、どんどん創りだし、その成果を、自分達できめて、さらに、快適な現場になるように再投資すればいい。
問題は、地域の発展にとって、人材や土地、知財なとの経営資源について、何が最適な組み合わせなのか、 フリーハンドで、考える習慣がないこと。 すぐに、既存の法令、しかも、ひも付きマネーに惹かれてしまうこと。
制度は、なんのためにあるのか? 先に、マネーを考えると、これまでの制度の支配下にはいってしまう。これが、日本の今の現状です。
地域の経営資源と、社会的負担の実情を、徹底的に見直し、それを、どう使えばいいか、誰がどう担えばいいか、既存のルール、制度とは別に、全員参加で、とことん、話し合う。これを、政治家、役人に任さない。
そのときに、公務員と民間と言う違いはなくなっていきます。
個と個とがダイレクトで繋がるIT技術は、生きている人間が、その共通の生活空間について、情報共有のツールです。これを、地域の富の創造に活かさない手は、ありません。
この辺、いずれまた、改めて書きます。