前原外務大臣辞任。
中学時代、山代に移ってから以来、親しくしていた焼肉屋の叔母ちゃん。
お互いに励ましあいながら、この日本社会で、がんばってきた。
前原氏は、京大から松下政経塾、そして、京都府議、衆議院議員。
さらに、民主党政権で、国交大臣、そして、外務大臣。
党内では総理候補と呼ばれるようになり、ここで、中学時代からの知己だった、
その叔母ちゃんを外務大臣室に招いた。そこで、一緒に写真をとった。
その叔母ちゃんは、それを焼肉屋の店に、飾った。
普通に、これだけ考えれば、何も問題ない。
しかし、その叔母ちゃんが、在日で、日本国籍でなかった。
このことが、総理大臣を目前にして、問題の発端になった。
日本国籍をもつこと。
これは、日本という統治体のルールを作る権利を持つ人間で、かつ、その統治体によって、
課される義務を負い、また、保証される権利で保護される人間になること。
在日の人たちは、過去の事情は、それぞれ複雑ですが、この日本の領土にいきながら、
この統治体を拒否していた。
そこにある、最大の誤解。
戦後の日本社会、特に、統治体である「日本国」を、
「民族」として、捉らえてしまったこと。
日本語を話していることが、日本民族を規定する、条件の一つですが、
日本国籍をもつ日本人とは、日本の統治体の中で、権利と義務をもって生きる事を指します。
政治家にとって、もっとも基本のことは、
人間個人の幸福と、国家(統治体)の関係を、明確に認識することです。
日本の国の形がどうなっているのか?
戦後の日本は、主権者は国民ですが、国家そのものは、アメリカ合衆国の特別行政自治区。
その中に、現実に暮らしていながら、日本国籍の取得を否定する人たちがいる。
その人たちにも、もちろん、生存権はある。
しかし、日本国籍を拒否する以上、日本国が定める基本的人権には、該当しない。
ただ、参政権は、どうなるのか? (国、都道府県、市町村、町内会)
ここは、国家のルールを考える時に、もっとも肝心な問題です。
ここを曖昧にしていいはずがありません。
前原誠司氏は、松下政経塾から最初に、衆議院議員になった人間です。
国家は、その本質は、暴力です。 これは、人類の歴史を見れば分かります。
その暴力をどう使うか、あるいは、どう制限するか? ここがもっとも肝心です。
日本の戦後は、国家自体を外敵から守るための、国権として直接的な「暴力機能」は、
アメリカの特別行政自治区のため、日本の「国家」の自発的意志からは発動できませんが、
この暴力は、国内の、国民そして外国人にも、統治のために向かうときがあります。
この場合は、暴力というよりも、個人を束縛する強制力という「国家権力」の形で現われます。
それゆえに、この国家権力をどう使うか、私達はその行使にあたり、条件や性格をどうするか、
その方向性や制限を、国民なら、誰もが、自分の意志を、そこに反映することができます。
それが、「有権者」です。
この『有権者』の持つ意味と、たんなる幼馴染みの支援者の意味を、
厳密に考えることがなかった。
それも、その支援者が、日本国を、拒否している人であるにもかかわらず。
松下政経塾は、一体、何を教えていたのでしょう。
元々、戦後のモノつくりの商人が作った学校で、こんなことを意識したこともなかったのでしょう。
政治の基本は、国家の繁栄と、個人の幸福 の問題です。
そのとき、国家のルールつくりを、常に考えているのが、本来の政治家のはずです。
その、もっとも「基本」が抜けていた、戦後の日本の、象徴的事件が今回の前原の辞任です。
民主党の足元の脆弱さが、もろに災いしました。
しかし、自民党とて、敗戦後に、アメリカの都合によって、
この「国家の繁栄」と「個人の幸福」の枠組みを与えられていたにすぎず、
自分で考えることはなかったのです。
これは、これから二年間の、私達の未来に向けた最も重要な宿題になりますね。
、
外相辞任の原因は人情や同情でなく、統治体である「国家」を知らない問題。松下政経塾は「国家」に不明な、松下「未熟」塾だった。
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この記事を書いた人
新井信介
1957年長野県中野市生まれ。東京外国語大学(中国語専攻)から住友商事を経て独立。中国の改革開放に立ち会い、独立後は西欧世界にもネットワークを構築。地球史の視野で、国家・宗教・マネーの意味と構造を探り、個人の可能性(想像性・創造性)と、普遍的文化価値を探求している。そのために、『皆神塾』を主宰し、会員制の『瓊音(ヌナト)倶楽部』も立ち上げて、研鑽を深めています。