本欄で、サッカーに関し、5月25日、以下を書きました。
その後に、戦術の大転換 がありました。
以下、再掲します。
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< やめろよ、ハエ・サッカー。 ゴールがますます遠くなる。>
2010 年 5 月 25 日
昨日の日韓戦は、W杯の壮行試合で、こころに、ほんの少し期待してTVを見たのですが、
日本チームに、得点の雰囲気が全くありませんでした。
私はサッカーの門外漢です。
しかし、このチームとその指揮官に、今の日本国家の状況が重なり合います。
サッカーは、自陣のゴールに点を入れさせず、 相手のゴールに、点を入れるゲームです。
この間、90分間に、敵味方あわせた22人の活動の全てのプロセスは、この、
相手には点を入れさせず、自分が点を入れるための、その経過 にすぎません。
試合中に、どんな長い時間、自分たちのチームでボールを保持して、パス回しをしていようと、
ボールをもった相手に、何人もうるさくまとわりついても、この経過時間は、本質的には、
どうでもいい のです。
きれいなパス回し や、 うるさくまとわり付くこと に、 何らかの評価点があって、
それが、実際のゴールと同じように、カウントされる なんてことは、絶対にありえません。
パス回しをしている間に、相手に、じゅうぶんな守備陣形 と 体力回復の休息時間を与え、
その反対に、相手がボールを持つと、急いでそれに何人もうるさく付きまとい、その相手の
パス受け手に対しても全員守備を心がけてさせるうちに、自分達の体力をすり減らします。
一番肝心な 点を取りにいく攻撃 に切り替わる初動が、おっとりスタートの人間ばかりになります。
>> 何が目的なのか、すっかり忘れています。
相手が、ボールを持った時、うるさくまとわりつき、
自分たちが、ボールをもったとき、バックパスをしてでも、きれいにパス回しをする。
それで勝てるなら、まだいいのですが、全く点を取れない。
細かく動いて体力消耗させ、仲間内をいつも気遣っているが、 一向に、成果が出ない。
なんか、今の日本、そのものです。
成果をあげることよりも、
一生懸命さと 仲間意識の確認 こそが、最終目的と成っています。
誰かがシュートを決めてくれれば、それで勝つのですが、
その誰かが、それをする前に、チーム全体で、自ら可能性を絶っています。
90分のうち、80分、相手がボールを持っていようと、
90分のうち、80分、自陣営の中で、ゲームが進められようと、
サッカーは、ゴールネットを揺らした数が、自分達のほうが、相手より上回ればいい、
それだけです。
それが、一生懸命にチームに尽くさせて、消耗させて、何の成果もあげさせないサッカー
は、 全くバカそのものです。 やる意味がない。
相手がいるのです。 ゴールのチャンスは、そう なかなかきません。
それだけに、そのチャンスで、得点の可能性を高めるのが、本来の戦術です。
それには、
そのチャンスを掴んだものは、なんら遠慮せず、一気呵成に攻め込むのみです。
その人間に、変な遠慮や躊躇、迷い、意欲減退 を持たせてはいけません。
チャンスを掴んだものが見つめるべきは、 ただただ、ゴールです。
自分がパスをする同じチームの仲間ではなく、 ゴールです。 得点です。
チャンスを掴んで、 ゴールに向かって爆発する力が状況を突破します。
これは、強引に壁をぶち当り、ぶち壊す、強い風圧をもってこそ、脅威になります。
しかも、その爆発してうまれた風圧に、同じチームのものが瞬時に触発され、
同じく爆発の連鎖が起こり、先に動き出した仲間が、道をふさがれたりルーズボールに
なったとき、 それを拾って補う連携の動きが、相手を崩し、ゴールをこじ開けます。
今の日本チームがやっていることは、爆発する力を弱めさせ、
爆発しても、それを、すぐに、弱火にさせることばかり になっています。
>> これと同じことが今の日本経済。
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岡田ジャパンが読んでいてくれたら、うれしい限り。
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この記事を書いた人
新井信介
1957年長野県中野市生まれ。東京外国語大学(中国語専攻)から住友商事を経て独立。中国の改革開放に立ち会い、独立後は西欧世界にもネットワークを構築。地球史の視野で、国家・宗教・マネーの意味と構造を探り、個人の可能性(想像性・創造性)と、普遍的文化価値を探求している。そのために、『皆神塾』を主宰し、会員制の『瓊音(ヌナト)倶楽部』も立ち上げて、研鑽を深めています。