午後10時半。 たった今、戻りました。
10日、京都で講演が終わった直後、参加した野村画伯から電話があり、
ポーランドの大統領専用機が墜落したと聞きました。
私の理解では、 この4月は、イスラエルが追い込まれている時期です。
こうした理解で、ポーランドとの関連を考えると、
どうしても、 「アウシュビッツ」を、思い浮かべざるを得ません。
別名「ワルソーゲットー」でした。
ただ、この問題は、類推でモノを言うには深刻すぎるので、
これで止めます。
それよりも、昨日の岡山の勉強会。
日曜の午後5時からでしたが、15名の参加でした。
なかには、静岡、高松からも来られました。
私は、講演が始まる前の時間を利用して、初めて、
和気まで足を伸ばしました。
そして、その和気神社から、閑谷(しずたに)学校に行く途中に、
田倉牛神 (たくら うしがみ) 社 を 偶然、見つけました。
ここは、 日本珍百景 に、登録してもいいほどの不思議な神社でした。
なんたって、 牛の神様の聖地でした。
もろに、 牛頭天皇宮 と鳥居に掲げられています。
ここでは、願い事がかなうと、備前焼の牛の置物を奉納するのが慣わしです。
まあ、みなさん、是非、この神社を見つけにいってください。
私としては、高千穂奥宮の秋本神社や、黄牛(アメウシ)の滝 を 発見して
以来の、楽しい驚きでした。
日本の牛神信仰の起源は、古代イスラエルの北10支族の王族家エフライムです。
ここは、豊穣をもたらす「牛」を 部族のトーテムにしました。
アブラハムの子孫は、総称してヘブライ人と呼ばれますが、その中で、最初に
日本列島に上陸したのがエフライム族で、その場所は、鹿児島の大隈半島です。
和気清麻呂は、そこに流されました。
考えるに、現在のイスラエル国のユダヤ人は、血統的には、ほとんどが、
ヘブライ人の女性に、6世紀以降に、新たにユダヤ教徒になった非ヘブライ人の
遊牧の商業民が結婚して、 「ユダヤ人」になった人の子孫たちです。。
それに対し、本当の正統派ヘブライ人であるユダ族など農耕民のユダヤ人は、
絶対に、カミの名 (ヤハウェ YHWH) を、口にせず、
いつでも、天と繋がっていることを、大切にしました。
ホンモノは、 日本にいるのではないか?
これが、だんだん、私の中で、強くなっています。
しかし、そのヘブライ人でも、ユダヤ教徒でも、日本列島に渡来した後には、
縄文以来のヌナカワの精神性に触れて、
自然の中に、カミを感じるようになったことでしょう。
古代イスラエルのヘブライ人の第一波が、
最初に日本列島に来たのは、大体、BC320.
それに対し、
最初に天皇を名乗った天武が、太一を祭ったのが、AD680.
持統が、アマテラスを祀ったのが、 AD690.
1000年の時間がありました。 私は、これを、はっきりさせます。
今のイスラエル国家は、人口が、約700万人。
イノチを大切にする、ヌナカワの波動で、一気に包み込んでしまいましょう。
備前の田倉牛神(たくらうしがみ)社を知っていますか?
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この記事を書いた人
新井信介
1957年長野県中野市生まれ。東京外国語大学(中国語専攻)から住友商事を経て独立。中国の改革開放に立ち会い、独立後は西欧世界にもネットワークを構築。地球史の視野で、国家・宗教・マネーの意味と構造を探り、個人の可能性(想像性・創造性)と、普遍的文化価値を探求している。そのために、『皆神塾』を主宰し、会員制の『瓊音(ヌナト)倶楽部』も立ち上げて、研鑽を深めています。