11月30日の満月
12月1日の朝日。
動いていますね。
トランプは、マイケル・フリンから一斉に「証拠を出す」ことを
聞いていたので、わざと「小さい机」に座ったのでしょう。
アメリカの青鬼退治が、政界でも本格化。
日本では、満州亡霊の復活は許さず。
http://benzaiten.dyndns.org/roller/ugya/entry/xerox-copies-military-ballots
そして、日本国内でも、不正選挙が続いていた。
https://banbutusedou123.blog.fc2.com/blog-entry-1243.html
◎そして、オバマ逮捕、という情報も。
「新井さま 何時も有難うございます。
掲題の件ですが、米国メディアには報道規制がひかれている
ようですが、規制外のカナダメディアが報じています。
罪状は「スパイ容疑」とあります。
これ以外のメディア情報は確認していません。
「Former President Barack Obama arrested for ESPIONAGE」
広島 H 」
中国国内も変わりますね。
中国の権力構造や政治は複雑なので、簡単に整理しましょう。
今の共産党政権でも 3つに分かれている。
執行部 習近平 王岐山 劉鶴
李克強 ・・・・胡錦涛・温家宝の直系。
軍部には、江沢民の息のかかった野心家(DSが使嗾)
金融工学は、胡錦涛時代の精華大学から。(習も胡も卒業生)
1989年天安門の学生デモで北京大学を率いていたのが、李克強。
(1992年の天皇訪中後、日本にいき、小沢一郎宅に泊まる)
元、共産党の幹部で、習近平時代の2015年に、大量の米ドル資金を
持ってアメリカに亡命したのが、郭文喜。
新国家設立の意志をもち、彼をトランプ政権のバノン、ポンペイオに
会わしたのは1988年に渡米した余茂春。
彼らの宣伝活動部隊になったのは、神韻や新唐人テレビなど・
江沢民以来の共産党支配に、全面反対の各種、組織
代表、香港系 リンゴ新聞
台湾では、独立派となった李登輝を継承したのが民進党の蔡英文
しかし、台湾の国民党は、改革開放後の大陸投資を積極推進。、
代表が、鴻海(シャープ買収)の郭台銘(かく たいめい)
法輪功弾圧のとき、江沢民のやり方に積極貢献したのは、
薄熙来(薄一波の息子)で、遼寧のあと、重慶で毛沢東主義を
政治的に掲げる。
このとき親しくなったのは、華為の創業者の任 正非(娘は孟晩舟)
任氏は重慶建築工程学院(現:重慶大学)を苦学して卒業後、
1978年まで、人民解放軍に所属し、このときの重慶での人民解放軍人脈が、
1989年の天安門事件後に生きてくる。 まず、江沢民・薄熙来と懇意に。
さらに、天安門事件前の1988年に、改革開放のモデル地域となった深圳で
台湾の郭さん(鴻海)が最初の製造拠点を設けると、重慶に残っていた青幇
ルートで任氏はそこにコンタクト。すぐさま同年に華為技術有限公司を設立。
ここには人民解放軍の元仲間6人と20万元を持ち寄って、電話交換機の部品
製造事業を始め、徐々に発展。
1993年国家主席になった江沢民が「核心的利益」を定め、軍の近代化を言い
出すと、華為技術は、中国国家政策での電子部門の中核企業になった。
江沢民は、アメリカ・台湾の青幇ルートと繋がると、大国意識を剥き出しにした
外交政策を始めた。
これに対し、台湾の李登輝総統は当初国家統一綱領を掲げて海峡交流基金会の
設置や対中直接投資の解禁など対中穏健路線を打ち出して江沢民も腹心の曽慶紅
や汪道涵らを通じて接触したが、
1995年に一つの中国原則で妥協しない江沢民側の提案(江八点)に対して、
李登輝側が武力行使放棄などを訴え(李六条、李六点)で決裂した。この後、
江沢民は、ビルゲイツを大歓迎する。背景に、DSとシリコンバレーそして青幇。
「911」で、世界銀行が「貧困はテロの温床」と言い、大陸に資金をながすことに。
2002年11月、江沢民は自身最後となる第16回党大会を主宰し、自ら提唱した
「3つの代表」理論(中国共産党は先進的生産力・先進的文化・最も広範な人民の利益を
代表する)を党の指導思想として党規約に追加した。「3つの代表」理論を掲げて
私営企業主へも門戸を開いた中国共産党は、この党大会より階級政党から国民政党への
転換を始めた。核心的利益の概念を言いながら、株と土地での大々的な外資取り込み
が始まり、それによって稼ぎ出した米ドルをもとに、胡錦涛は「走出去」方針を出す。
このあと、精華大学で、金融工学を学ばせ、グローバリストと結託。
2013年、習近平が国家主席になると、アメリカのオバマと太平洋の分割統治案。
この段階で、すでに中国版GPS「北斗」の東アジア運用開始。
ちなみに、江沢民が大弾圧をした法輪功は海外から支援を受けていたが、
その中に、イエズス会がいた。日本での支援組織は上智大学にあった。