友人から、以下のメールが入りました。
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新井さん、
村田光平元駐スイス大使も訴えていた放射能汚染を、
長年に亘り福島の取材で告発もしている元朝日新聞記者、
烏賀陽氏の動画も拡散してあげてください。
https://www.youtube.com/watch?v=8zUwqRyyfpo
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原発は戦後の日本経済界と一体だった。今、経団連会長は日立の中西宏明氏。
宇宙摂理と地上の人類世界の王権・支配権、そして、科学技術と経済活動。
こうしたことを考えて、それならば、日立(市)は東京の丑寅の方角だし、
きっと何があるはずと、記紀を見ていくと、以下が浮かび上がってきた。
○宇宙摂理と、地上の王権を考えるとき、
星の神・天津甕星(あまつみかぼし)=カガセオを封じ込めたところがある。。
天津甕星(あまつみかぼし)は、日本神話に登場する星の神である。
別名、天香香背男(あめのかがせお)、星神香香背男(ほしのかがせお)、
略称で、香香背男(かがせお)。
・古事記には登場せず、『日本書紀』の葦原中国平定にのみ登場する。
日本書記の本文では、経津主(フツヌシ)神・武甕槌(タケミカヅチ)命が、
不順(まつろ)わぬ鬼神等をことごとく平定していくとき、草木や石までも
平らげたが、星の神の香香背男(カガセオ)だけは服従しなかった。そこで
倭文神(しとりがみ)建葉槌命(たけはづち)を遣わし、懐柔したとしている。
これを見ると、不比等が日本書紀をまとめ上げた段階では、
列島の統治体は、宇宙のリズムだけは、離れなかったことを示している。
(春日社が768年春日大社になった。このとき最初の武甕槌命(イカヅチ)に
加え、経津主神(ダン)、ヒメカミ、アメノコヤネ(不比等)が加わった。)
この関係が、明治維新の前にどうなったのか?
19世紀の初めの天保年間。雷電神社で、奥宮に伊弉冉を祀ったが、
このとき、イザナミとイカヅチを同体にしてしまったことを最近知った。
どうも、このときから、列島の統治が、自然のリズム(ヌナカワ・水分)や
宇宙の摂理(カガセオ=太一・シリウス)と解離してしまったようです。
日本書紀の第二の一曰くでは、カガセオは天津神となっており、
経津主神・武甕槌命が、まず高天原にいる天香香背男(別名を天津甕星)
という悪い神を誅してから葦原中国平定を行うと言っている と。
平田篤胤は、神名の「ミカ」を「厳(いか)」の意であるとする。
天津甕星は金星のことであるとし、さらに「カガ」は「輝く」の意で、
星が輝く様子を表したものであると主張してきたが、それだけか。
星や月を神格化した神は世界各地に見られ、特に星神が主祭神とされている
こともある。
しかし、日本神話においては(特に日本書紀)、星神は服従させるべき神、
すなわち「まつろわぬ神」として描かれている。
これについて、かつて列島には星神を信仰していた部族があり、
それが大和王権になかなか服従しなかったことを表しているとする説がある。
全国の星神社や星宮神社の多くは、天津甕星(カガセオ)を祭神としている。
これに関係した神社の一つに、日立市の大甕(おおみか)神社がある。
ここでは、祭神が天津甕星を服従させた建葉槌命だが、社名が気になります。
『日本書紀』では神代編で、下総国一宮である香取神宮の祭神経津主神と
常陸国一宮である鹿島神宮の祭神武甕槌神の二柱の神が邪神をことごとく
平定したが、星の神の香香背男(カガセオ)だけは二神に従わなかった。
そこで倭文神建葉槌命が使わされ、これを服従させたと記されている。
・・これは事実史とした場合、3世紀「国譲り」のときか、応神のときか?、
大甕神社の社伝では、甕星香々背男(天津甕星)は常陸国の大甕山に居を
構えて東国を支配していたと伝えている。
大甕神社の神域を成している宿魂石は、甕星香々背男が化したものという。
カガセオは、葦原中国平定に最後まで抵抗した神ということで
建御名方神と同一神とされることがある一方、神仏習合の発想では
北極星を神格化した妙見菩薩の化身 とされることもある。
宇宙や地上のエネルギーとその作用・性質に通じる覚者たちに言わせると、
大甕の「甕(みか)」が何を意味しているか、これが、肝(キモ)だと。
今はアクエリアス(水瓶座)時代なので、考えさせられます。