今日は、二人の友人から電話がありました。
両方とも、人類世界の飛躍には、必要な人物です。
そこで、いろいろ話題がありましたが、
この2年間の人類社会の進展について、何かの書物で、きちんと、予告しているところがあるなら、
ちゃんと書かなきゃだめだよ、と。
さらに、今の、ヘゲモニー争いの向こうに、歴史観(民族の発生の真実)が一新され、
それに伴い、エネルギーの技術体系が変わりだす。そのときにあるのは、電気か磁気か?
今は、電気が主流で、しかも、原発を温存しようとしていますが。
社会環境についていえば、「便利さ」の中で、静かに、気持ちよく、個体生命を減らす現実が次々出てくる。
人類そのものの歴史理解でいえば、サピエンスは氷河期の終わりの2万年前から、大規模農耕が始まる数千年前までは、どんな知能だったのか?
この場合、シュメールにおける文字の発生と、「カタカムナ」はどんな関係なのか?
地球外の存在と接触し、どうやって、今につながる「文明の核」を受け止め、継承・発展させたのか?
一方、文字の功罪は極めて重要。老子、孔子、釈迦、イエスは、自分では何も書いていない。
これが「テキストブック」となったとき、本来の真理と、それを語る「権威」の違い。
日本列島の古代史(新石器=縄文からの王権の発生)の真実については、その始まりについて、
記紀の記載(特に神代編)にとらわれている限り、真相は何も見えないし、これから起こりうるであろう、人類社会の現実も、その実態も真相も掴めないままになる。
6000年前、人類は、みな、明らかに活きた脳みそだった。それが、そこに何が刷り込まれたのか?
意図して何かが入れられ、それによって認識の在り方の枠を、絶対とするようになると、自分が気づかないまま、自分にとっての、快適さなり幸福の姿を考える思考そのものの在り方が決められる。
そうなると、その人間の脳の使い方は、教えられた情報伝達系の回路の中でしか、思考も判断できない。
今の人類は、自分で、その思考の枠の中で、快感を求めるままで、それは「死んだ脳みそ」になる。
進んで枠に入ろうとする「死脳筋(中国語)」。これは、「混迷脳」「蒙昧脳」「執着脳」
それを破るには、それに気づくには、自分と異なる思考の人間と、同じ空間で一緒に生きる経験をするしかない。相手を否定せず、尊厳をもって、お互いの心の世界を探り、その時の思考パターンを知ること。
そして、現実に、自分の実生活で活かされる、真実の知恵・知識という情報は、じつは、
体内の「純粋な水」でうける。これは、自然界そのものでも、同じ。
宇宙からの情報は、実は、地上の水で受ける。
これが淀んでいるとどうなるか?
受ける側の器(人体、とりわけ脳。そして社会環境)が汚れていたり、日々口にする水の中に異物が入っていたら、どんなに良いものでも、取り込まれたり、自分から発信する際には情報も偏向する。
などなど、とりあえず、メモしておきました。
2日19;00