2014年2月9日、私は、予定通り名古屋で皆神塾を開きました。
その開始前の前日、どうしても、メッセージを残したく、名古屋のホテルで、動画を撮影しました。それが、アップされたのは10日でした。
当時の安倍内閣は、統一教会や日本会議の大衆運動勢力の力を得た完全なる極右政権でした。しかし、日本のメディアが、まるで、その本質を伝えないままの日本の言語空間での、新規の空気つくり作りが始まってしまったのです。
そのときの、動画がありますので、再度、ここで、上げておきます。
【新井信介:2014年2月緊急メッセージ】 – 瓊音(ぬなと)チャンネル(旧「新井信介 京の風」) (nunato.net)
私は、2012年の12月、大阪での皆神塾は、総選挙の最中で、その時には、会場横の、御堂筋には、日の丸をかざしながら集団で行進する団体の異様さを目撃していました。
その集団は、統一教会の面々でした。
彼らは、孫文の遺言も、溥儀の担ぎ出しもも、何も知らないままに、「天皇なる存在」と、その制度の中で、「滅私」する人間を、美しいとばかり、教条的にいいつらう存在でした。
日本とは何か? その起源は何か? なぜ、天皇のために死ぬのは美しいとの、イデオロギーが、この列島、なかでも、近代国家になってから生まれ、それが、強引な国家強制力にまでなったのかまるで検証しようとしない、取りつかれたような陶酔次元の人たちでした。
日本の戦況が怪しくなった時、満州国建国の後、兵士と国民に塗炭の苦しみと犠牲を強いながら、大東亜共栄圏を強引に進め、表面は、いつまで、勝っているといい続けたのが、戦争中の日本国の首脳(大本営)だったのです。その上で、大東亜会議で、日本の軍部は、自らの帝国実現の無謬性をさらに、表面上は現実化するために、本来守るべき国民の命を、虫けらのように、彼らの「計画」のために差し出させたのです(代表が学徒動員、インンパール作戦)。
その間に、大陸に広がった日本軍の各部隊伝えた言葉が、「上官の命令は、天皇の命令と思え」であり、「死して、虜囚の辱めを受けず」という自害の強制(玉砕)だったのです。
そうした事態を、もう継続させない。その意思は、天皇から、広島・長崎の原子爆弾の炸裂見てからの「ご聖断」となったのです。
私は、そのあと、どのようにして、戦争マシーンなった日本の体制を、方向転換させたか?注意深く、歴史を見てきました。
昭和天皇のポツダム宣言の受託を受け、アメリカからはマッカーサーが8月30日に厚木に飛来し、日・米・中(徐永昌)が、東京湾に浮かぶ、アメリカの戦艦ミズーリ号の甲板で、9月2日に、日本の降伏文書にサインして、戦争マシーンとなった国家体制が終わったのです。
このことを再び強調したい。
そして、この戦艦ミズーリでの降伏文書の調印の報をうけて、その翌日の9月3日、中国大陸の中華民国第8路線軍(共産党)も、さらに、当時のソ連も、軍国日本に対する戦争勝利としたのです。
今日は、2022年9月2日です。今、ウラジオストック沖では、ロシアの東邦軍事演習「ボストーク2022」が、中国やインドの軍事関係者など13か国を取り込んで、展開中です。