中身がどうであれ、発表される数字にこだわる。これが現在の地球人類が生み出した各国の、政権担当者の姿です。日本もアメリカも中国もEUもイギリスも。どの方向に政策を出すべきかか?この正当性を国民から支持されるには、どうしても数字での根拠が必要だ、ということで、成長率GDPや国家税収、失業率など、なんでも統計をだしますが、これが、日本で極端なお手盛りになってしまったのが安倍政権。 以前2000年頃はまで、中国が作る数値はまったく当てにならず、貿易統計などは、日本が一番参考になるとも言われていましたが、人民中国なみになったというわけです。。
国家権力が領域内の民から、どれだけ税や役務を絞り、それを何にどう振舞うか?そのとき、自分の権力保持の正当性を担保するものは、個々の領民の意識・生活実感とは別に「数字」でした。これを、税優遇を受けているもの同士が連携して、すでに得ている待遇を護るためにさらに数字をつくる。メディアにも学者にもそのこと文句を言わせず、チェックもさせない。改竄作為がバレてもシラバックレル。メディアは権力の味方で 地方の役人や学校の教員がすべて大本営発表のみを、自分の生活のために言い続ける。
もう、国家とマネーに関し次元が変わり、全く異なるフェーズに入っているのが気が付かない。これには、エネルギーと医療の劇的新技術の登場があるが、これをなるべく出させないように一致して動く。しかもそこには、各国権力者間に「静かな管理された人口削減」の暗黙了解がある。
トランプ自体は、<国家を越えて国家を道具にして、ごく一部の人間のマネーを最優先にするグローバリズムの暴走、マネーの悪魔性との戦い>は見えるが、国家のもつ限界には気が付かない。人類史全体のダイナミズムとして、国家の役割・存在意義が劇的に変わりだしているのを気が付かない。
如何に、幸福に暮らすか? 個人の権利と「富」の発生と再分配。そもそも「富」とは何だったのか?
人類社会での豊かさは富でそれは現在ではマネーで現わされる。今、大陸では、「富 而 不 貴(フゥ ァ~ プゥ クゥイ)」という言葉が流行っている。意味は「大金持ちだけど品性がない」。こうした人間は「土豪(トゥ ハォ)」と呼ばれる。権力を持った人間とその周囲の人間関係に、公正な監督権限が及ばない世界ではいつもこんな人間が生まれる。なにも「共産党だから」の話ではない。
それを、「国際的な基準」と「国家を超えた力」で関係を改善できるか?しかし、ここにグローバリストが入り込んで、超国家の利益をむさぼった。
何が正義なのか?人類にとって、そして、生物界にとって。個々の人間の覚醒と、地球人類のマスとしての人口管理。国家権力も国際基準つくりもここが出発だ。その権力行使時、人を動かすうえで、独裁権力と奴隷労働の関係か、それとも「公」なる国家事業としての雇用とマネーがなのか?ただ、どこでも、一たびマネーが設定されると、利権化して問題は解決されないまま、破局をもたらす。
富はいつ発生したのか?これは農業生産と一体だった。そのときに、人間精神に悪魔性も始まった。原始の部族社会には、自然界から切り取った形の「富」はなかった。冬を越し、翌年の種もみ以外は使い果たす「余剰蕩尽」。母系制社会だった。異なる部族の接触では、相手を認め合った。通婚はあり、共通の敵の前には、協力し合った。
「異なる部族を一つの家にする。そこに屋根を掛ける」という発想はいつ生まれたのか? 国家が作られ、さらに巨大な国家「帝国」になる。このときには、いつも「神の高み」にいる「超越者の物語」が作られ、語られた。ダビデ、キュロス、アレキサンダー、始皇帝、ローマでの救世主イエス。
では、日本列島では、いつから、「神の高み」の物語が始まったのか?
今、国家ベースでの物語が、世界各国でどんどん破たんしている。どこに戻ってやり直せばいいのか? 中国に関し、面白い動画があります。このシリーズでは、キーワードの中国語も学べます。今回は、三峡ダムのことを取り上げたものを紹介している。妙仏の「中国語講座」
https://nhacxuanhay.com/video/1Rb4eThAOQk/.html