今、韓国と中国とで、高句麗と渤海のことで、揉めています。
それは、
中国が特別展で示した年表のなかに、高句麗と渤海の始まりの年号が抜けていることが原因です。韓国史から高句麗・渤海が削除されているということで、 韓国政府が是正要求です。
これは、実は、日本の歴史、それも、「天皇」の成立にもかかわる重大問題なのです。
日露戦争の時、日本軍は、旅順にあった、歴史上のある重要な石碑を持ち帰っている。それは、そのまま皇居の中に隠され、戦後になって、中国人民共和国から、返還要求が出されても、まったく無視し、その石碑の存在すら、日本国民にも教えようとしない。
日本の天皇の成立と、高句麗・渤海の関係を、いまだに隠そうとしているのだ。
それは、唐の玄宗李隆基が即位した翌年(713年)に、
高句麗の後継王朝になった渤海の大祚栄を、渤海群王に、封じたという記念の石碑。
それが、鴻臚井
以下、ウィキペディアからです。
勅持節宣労靺羯(鞨)使 鴻臚卿崔忻井両口 永為記験 開元二年五月十八日
こう説明があります。
鴻臚井は、高さ1.8m、重さ90tの天然石であり、1908年に日本海軍が日露戦争の戦利品として没収、1911年に代替で跡地に「功労碑」が設置された[1]。現在、鴻臚井は宮内庁が所蔵している。2015年、「中国民間対日賠償請求連合会」の王錦思らが皇居を訪れ、警備員に宮内庁あての「106年前に日本が略奪した文化財『鴻臚井碑』」の返還を要求する書簡を渡している[1]。2015年7月、「中国民間対日賠償請求連合会」は、北京の日本大使館に返還を要求したが、日本政府が応じなかったため、宮内庁を相手に、鴻臚井の返還と精神的苦痛に対する慰謝料280億円の賠償を求める訴えを、北京の高等裁判所に起こした[3]。
1999年に酒寄雅志が論文を発表することによって、鴻臚井が宮内庁所蔵であることが初めて知られるようになったが、酒寄は「渤海という国ができた当時を考えるかけがえのない史料だ。皇居の奥深くしまい込んでおかないで、まずは開放・公開してほしい」とコメントしている。