クリスマス?処女懐胎のイエス・キリスト(救い主)の誕生祝?菊の花は?誰かの意志の下に個々人の精神(心)を引きつけ拘束する統治の「妙(手法・メソッド)」だよ。でも実際に周波数が合うと誰もにいろいろ降りてくる。

おはようさん。
今夜は太陽暦では、クリスマスイブなんだって。

処女懐胎した「救世主(ギリシャ語でキリスト)」が
この世に生まれたことを、お祝いする日なんだって。

でも、イエスは、神の言葉を話した人間で、本当は預言者じゃん。
それよりも、モーゼの方がもっと偉い。これをいうのが、ユダヤ教徒。
いや、同じく神の言葉を話した預言者でも、最後はムハンマドじゃん。
これはイスラム教徒(ムスリム)。

これ、みんな、旧約聖書のアブラハムの子孫「啓典の民」じゃん。
で、今、日本列島にある、神道はどうなのよ?これと関連するの? 
そもそも「惟神(かんながら)」の神って、一体、何なのよ?

地球における人類史で、バッハの旋律に見られるように、
天から美しい調べが、どんどん降りてきたのが、宗教改革の後です。
天上の実在の神(神威・権能)を感じ合うグレゴリオ聖歌とは違って、聖書に書かれた神イエス・キリストを讃える物語性をもつ讃美歌がどんどん創られるようになる。
そのときまでに、弾圧する側が、弾圧される側の「心の拠り所」をさらに盗み、自らを神の代理人とか、僕とか、僭称する事態が1000年以上続いていた。統治者の支配のために利用されたのが、実在した「人間イエス」の覚醒と勇気ある行動に関する伝承。

2000年前、ユダ族エッセネ派で、実際に生きていた人間イエス・インマヌエルは、宇宙を統括する創造神(太一)を父と呼んで、毎日、向き合っていた。
そのときの姿と、習慣・感覚・覚醒の教えは死後も語り継がれ、バチカン成立よりも300年以上も前の2世紀初めには、北インドのクシャーンに届いていた。
中村哲さんが亡くなったあたり。カニシカの王都はペシャワール。その地にはアレクサンダーの伝承があった。(ガンダーラ[gandhara]…ギリシャ人の悟り)
エジプトのアレキサンドリアにはヘレニズム時代の書籍を集めた図書館があり、若き人間イエス・インマヌエルはその図書館で学んでいたので、アレクサンダーの足跡を追ってガンダーラを訪ねた可能性も高い。

イエスの教えが政治と結びつくのはいつか?
312年、ローマ皇帝コンスタンチヌスの母ヘレナは、帝国から弾圧される側だったキリスト教徒の慈愛と相互扶助の生き方にシンパシーを感じ、改宗した。しかも、戦いのとき、「十字」を掲げると、神の加護を受けられると言われ、コンスタンチヌスは試しにそれをしたら、事実、そうなったと。
ここから、イエスの「存在」とその「教え」が統治の手段として政治的に使われるようになった。
ピラトに磔刑にされながらも3日後に復活した人間イエス・インマヌエルとは、一体、神なのか人間なのか?人々はその人物を想うと救われるというが、その「権能(効力)」は今も存在しているのか?

325年ローマ帝国はニケーアでイエスは、父と子と精霊の「三位一体」なる存在だと政治的に決定し、
395年には、アレキサンドリア図書館を完全に焼き払った。
431年、エフェソでは、その「三位一体」のイエスを産んだ母マリアも、「神」と同じ神性をもつと認定し、妻のマグダラのマリアの存在については、無視の上、否定しだした。
これはローマ帝国統治のために利用した「概念でのイエス像」だった。
決定された「イエス像」を教える場所(総主教座)が5か所あった。まずイエスが磔刑にあったとされるエルサレム。シリアのアンティオキア、エジプトのアレキサンドリア、コンタンチノープル、そして、最後に最も西にあったのがローマ。
このローマ総主教のゲラシウス一世が495年に自らを、「三位一体のイエス・キリストの唯一の代理人」といってから、今に続く、バチカンが始まった。

ビザンチン帝国が管理していたエルサレムの総主教では、そこにあったとされる磔刑の十字架が、618年にペルシャのホスロー2世に奪われた。ホスロー2世はそれを首都クテシフォンに据え、さらに、ゾロアスターの生誕地タフティータクティスにソロモン神殿を造った。
10年後の628年、ビザンチンのヘラクレイオスは、その十字架を取り返した(ニネベの戦い)。このときから、十字架は、<政治概念である「三位一体」の神を信じるキリスト教>の神聖さや神の権能のシンボルとなった。

しかし、こうした事件の前の610年に、大天使ガブリエルから啓示を受けたのがムハンマド。それをアラビア語で文字化して「コーラン」に纏め、その教えに従うのなら、誰もが平等だ、とするイスラム教(ムスリム)が始まる。
ムハンマドは632年に亡くなるが(これは日本列島での「ウマヤド」の死の10年後)、ムスリムはシリアを占領していたビザンチンを破り、さらに、ササン朝ペルシャそのものまで滅亡させた。最後の戦いは、642年ニハーヴァンドの戦い。
これと同時にエルサレムを攻略し、さらにアレキサンドリアの総主教座まで支配下に置いた。

シリアにあったビザンチンのキリスト教会には、イスラム教の最古の寺院として使われだしたものがあって、ウマイヤー寺院と呼ばれるようになった。アンティオキアの総主教座は機能しなくなった。

この結果、キリスト教の5大総宗教では、コンタンチノープルとローマだけが残ることになった。
ビザンチンのコンスタンチノープルを衰退させたのは、ローマのバチカンが言い出した十字軍がきっかけだった。イスラムに占領されたままになっているエルサレムの地の奪回を、神からの使命だと、政治的に言い出した十字軍運動は、1204年の第4回には未払いだった地中海の運送費を稼ぎ出すために同じキリスト教のビザンチンを攻撃し、財宝を略奪した。そのときの略奪物を収めた場所がベニスのサンマルコ大聖堂。今、聖具だけが残っている。
バチカンが、完全に「三位一体の神」を語る政治屋(詐欺師・泥棒)になったのはこの時からである。そのあとに、ペスト(黒死病)によってヨーロッパの人口が3分の一にまで減る事態が生まれる。

ローマのバチカンは、495年にゲラシウスが始めたが、成立後1000年に渡り、免罪符・魔女狩り・異端(ペイガン)の火炙り・初夜権の恣意的運用など、「三位一体」のイエス・キリストの唯一の代理人として、ヨーロッパ各王国の王権と住民の生活規範に精神と政治に関与した。
(十字軍は、キリストの教えを守るとして、テンプル教団になり、その政治性は間違いだとして、自由を求めたものはイスラム中にいて、そこには「アサシン」という暗殺集団もいたというのが、映画『アサシン・クリード』物語の認識・設定だった)

歴代教皇は「三位一体であるイエス・キリスト」の代理人という立場を踏襲したが、これが続いてきた背景には、地上での人類統治を進めさせる、という思惑で、どうも地球外生命と関わりがあるように、わたしには思えてなりません。

このバチカンの支配に反発したのが、ルネサンスで古典や歴史を復習し出したプロテスタント。さらに、どうしても離婚・再婚をしたくなったイングランドのヘンリー8世。そのヘンリー8世の娘がエリザベス1世で、彼女を継いだスコットランド王がジェームス1世となったとき、英語版聖書の「欽定訳」が完成する。
アメリカ大陸に渡ったキリスト教徒は英語版聖書を持って、つぎつぎと独自にイエスへの信仰を始めていく。

日本にきたザビエルは、バチカンがプロテスタントに対抗するために組織した先鋭部隊イエズス会の人間。
これらの大きく分けて二つに分裂したキリスト教勢力だったが、既得権を壊して社会変革とマネー支配の為に一つになるのが、ナポレオン戦争後の1815年「ウィーン会議」。「金融ワンワールド」の始まりです。

そのときまでに、天上の創造神(太一)と繋がる(周波数を合わせる)手法や装置は、それそれに秘儀としていろいろと探り当てられいたが、問題はこのときに、マネーでの支配欲と科学性によって、さらに強い権威を創り出して、この地上の人間世界をどうするか、ということ。

この視点での知性が、グノーシス派やフリーメーソン、そして、イルミナリティー。
人の心を縛る手法・処方を確立したものは、それを何に使うか?
ここに悪魔も入り込む。たんなる支配欲だけではない。そこには、遺伝子的に人間の血を求めるものもいる。

フランシスコの前のベネディクト16世は、次のように言っていた。2012年12月19日、フィナンシャル・タイムズへ寄稿した言葉。その中で以下のように述べた。教皇が経済紙に寄稿するのは非常に異例だという。

ークリスマスには聖書を読んで学ぶべきだ。政治や株式市場など俗世の
 できごとにどう関わるべきかの啓示は、聖書の中に見つけられる。……
  ……貧困と闘わなければならない。資源を公平に分かち合い、
 弱者を助けなければならない。強欲や搾取には反対すべきだ。……
 ……クリスマスはとても楽しいが、同時に深く内省すべき時でもある。
 私たちはつつましく貧しい馬小屋の光景から何を学べるだろう。
— A time for Christians to engage with the world(キリスト者が世界と繋がる時)https://www.ft.com/content/099d055e-4937-11e2-9225-00144feab49a#axzz2Fvi5CY7d

しかし、このベネディクト16世自身が汚職やペドフェリアに関わっていたのがバレて、罷免された。その反省から誕生したのがフランシスコ教皇だと信じたい。

ちなみに梨本宮「殿下」は修験道の衣装で、昨年秋にローマで教皇フランシスコと直接、会っている。聖ペテロ大聖堂の中で、本来、禁止されている白い衣装を着て、手と手を合わす祈りの姿勢とその意味を教えてやったと、白頭山で大いに自慢しておりました。
さて、今日はフランシスコさんはどんな言葉を言うのでしょう。2015年よりも凄いこというのかもね。あの時は「十字架には神はいない」と言っていた。

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この記事を書いた人

新井信介

1957年長野県中野市生まれ。東京外国語大学(中国語専攻)から住友商事を経て独立。中国の改革開放に立ち会い、独立後は西欧世界にもネットワークを構築。地球史の視野で、国家・宗教・マネーの意味と構造を探り、個人の可能性(想像性・創造性)と、普遍的文化価値を探求している。そのために、『皆神塾』を主宰し、会員制の『瓊音(ヌナト)倶楽部』も立ち上げて、研鑽を深めています。