こんにちは。昨日は忙しい一日でした。《日本最強(地球最強?)の母性(生命融合)のパワースポットと映画『アヴェンジャー』》
◎リアルの現実世界の中で、イノチの響きに全身で浸る。
一昨日、北信濃に来た魔女二人。元々、小菅神社に行きたい、ということでしたが、出迎えてすぐに飯綱町にあるサンクゼールで食事をして、この時、糸魚川の話をしたらそちらに盛り上がり、急遽、フォサマグナミューゼアムにいき、さらに糸井川の海岸で翡翠と薬石拾い。翡翠は当然ながら手に入らず、結局、私の控えのを小石を渡すことに。魔女Aさんが我が家を麻と蓮の糸で清めてくれたお礼でした。
そして、昨日は当初の目標である、小菅神社に行きました。唐時代の「美女」そっくりの魔女Bさんは奥社の入り口に入ってから、参道の石や樹木に、毎回、何かを言いながら手を合わせて登ってきます。霧が立ち上がり、時折、小雨、そして、雨が上がって天が開けたり、といろいろな顔を見せる小菅神社。先に進んでいる私はその姿に最初は少しイライラしたが、その意味が分かって、彼女の心に周波数を合わせた。そうしたら、身体がこれまで体験したことのない、不思議な感覚に共振し出した。
小菅神社は今、飯山市が世界に誇るパワースポットとして売り出そうとしている。これは、リアルだ。それも戸隠が男性原理なら、小菅はその反対の女性原理だ。どんなに鈍感でも、すっかり世俗マネーに浸りきった女性でも、ここに来れば、身体で魂で、それはすぐにわかる。小菅神社は、平安期になってしばらく女人禁制だった。飛鳥・奈良時代には、680年に役小角、698年に柿本人麻呂、さらに739年に安宿媛(光明皇后)が来ているが、これは、この地域に縄文の感性が色濃く残り、ヘブライ・シュメール系の人間が入っても自然との融合を促し、2100年前には高社山で「ニギハヤヒ」が誕生し、紀元後3世紀に崇神に「国譲り」した後も、平安初期のアテルイの反乱の頃まで、この地に、縄文の女神が暮らし、イノチを無視する権力者に大きな鉄槌を与えるための女性たちのネットワークの拠点だった。このことに気が付いた。それを、桓武以降の平安貴族が、それに対し見えない蓋をしていた。その蓋を、この魔女Bさんが、大地からの声に応えて、一つ一つ取り外しているのだと。下山し、北竜湖によって桜と菜の花、さらに桃の花を見て、馬曲温泉、須賀川そば。そして須坂に行って墨坂神社に行きたい、というので案内した。この魔女さんは須坂に墨坂神社が二つあることも知っていた。私は最初に天武が即位したときに勧請した墨坂神社に連れていき、次に桓武が即位したときに所領が与えられたもう一つの墨坂神社に行き、そのあとバス乗り場で別れた。
魔女A曰く、新井が泰山に行って、天に向かって「イノチ吹上げ」を祈った流れに沿って自分たちは今回来たのだと。魔女さんたちは糸魚川で列島全体のサイキック霊障をほどいて、そして今ヌナカワを復活させている。これだけでもとても重たく濃い一日半でした。なかでも、小菅の奥社手前でこれまで経験したことのない、強く、細かく、精妙なバイブレ-ションを全身で感じていた。両手のビリビリ感はズット感電状態のように続き、その帰りに行き違ったニュージーランドから来た若い女性二人は、「静かで平和で、私はここにきて、自然の中に溶けている」と潤んだ目で感想を漏らした。
◎ハリウッド映画は「創作の極致」だが、所詮「フェイクの娯楽」=洗脳ファンタジー。
そのビリビリの余韻が残ってる中、夕刻、次男坊と約束していた映画『アベンジャーズ』を見た。ネット予約で後方のど真ん中の席を確保。前回は「均衡をもたらす」といって、無敵のサノスが地球の人間を半分を消した、ところまでだった。
それが始まってしばらくして、なんと、そのサノスが殺されてしまった。以後は、死んだ仲間たちを復活させるため、タイムトラベルの物語に。そこに宇宙から再び現れたサノスとの戦い。そのとき、消えていた「仲間」が全員出撃でサノス一派を地球から撃退。サノスが奪ったインフィニティーストーンをみんなで協力して奪い返して、最後は元は武器商人の天才科学者のアイアンマンが指パッチンで、全部を取り戻し、本人は死んでいく。「アイアンマンにも人間のハートがあったと証明する」という葬儀にみんなが集まって、物語全体がエンド。
おいおい、なんなんだよ~。前回、サノスがなぜ地球人口の半分を消して、均衡を取り戻そうとしたのか、その意味や意志、使命感については、まったく語られず、全然、物語に入っていないじゃないか。これでは、単に独りよがりな暴虐な支配者に壊された地球人類に対し、残された地球のヒーローたちが協力して知恵を絞って「復讐」を遂げる物語でしかない。全く、これまでの宇宙人襲来映画の焼き直しになってしまった。サノスの意思と人口削減の意味を知り、サノスを打ち倒しながらも、宇宙の根源の深い意志を自ら継承すると誓って地球の文明を作り直すために、ヒーローたちが立ちあがるのかと思いきや、そんなの全くなし。
あ~あ、がっかり。ハリウッド映画では、完全な調和世界を地道に作ろうとする意志が目覚めるなんて、もとより無理だったのかな? うちの倅は「サノスは実は、いいやつだった」という物語を期待していた。これは、私が「アヴェンジ」には単なる報復・復讐でなく「間違いを糺す」という意味があると言っていたことが強く彼の頭に入っていたためだった。
で、結論。
アメリカ人には、とてもじゃないが調和世界を創れないということ。個々人の人間としての努力や感情を引き出す「虚構のストーリー」はできても、真剣に、現実に、このリアリティーに「円満具足」の歓喜世界は、どうやったら導き出せるのか、それすらもイメージできないのかもしれない。直感で分かっても、それを物語化をするときには、空間毎、どういう関係性ならばそれが可能かを描き出せないのだろう。(分かっている叡智はいるが、彼らはそれをメッセージには出さず、それを実践している人間を、密かに探し、応援しているのかも)
ハリウッドは商業上の成功(儲け)と政治上の洗脳のために映画をつくるから、本気の三次元での調和世界へのテキストとなる映像を、絶対に、創らせてはならない、とも、どこかから言われているのかもしれない。
よろしい。それならば、私たち、日本列島で、日本語を生み出した、縄文の魂をもつ、私たち日本人が、本当の「日本」を知り、さらに感じ入り、これまでの文明の利器・手段を総動員で、どんなに時間がかかっても、ここからリアリテイーに実現して見せようじゃないか。
そこへの切り替えが、「令和」時代になるように、私たちは同志を集めて、宇宙の中での地球の太古から続いている「今」を知る、綺麗な地図(系図)と、未来に向けた辿るべきマイルストーンを作ろう。若い世代には今回の映画に、相当多くの不満、物足りなさを抱いているはずだ。現実をどうするのだ?この三次元の地球をどうする?そのための智慧をあつめる基地をこの日本に造る。その名は「XXX」しよう。こんなことを、感じさせた映画でした。
PS:映画を見ての「がっかり感」は『空海』の時以来でした。あの映画は、時代検証も無茶苦茶なファンタジーで過去に生きていた歴史上の人物の心を冒涜する映画でした。今回は、あくまでも、地球での「善悪対立」に落とし込むステレオタイプに戻る愚に嵌り込んでしまった映画でした。個々人の精神宇宙と、三次元の現実と、多次元に渡る宇宙意志。この関係性を見事に描き出すドラマは、キリスト教文化ではなく、アジアの玄学(老荘・孔孟・淮南子)の知性の中からしか出てこないのでしょう。