本日は上皇の誕生日。この日にA級戦犯たちの絞首刑が執行された。岸信介は事前釈放でアメリカ(カバル)の手先になり、満州亡霊も生き延びた。白鳥敏夫を知ろう。

「まことにやむ負えぬ事情により」
の、その事情をみんなで解明しましょう。

今日はA級戦犯が絞首刑になった日です。

まず、日本の言論界ではタブーだったことには、原爆製造もありますが、
その前に、押さえておきたいこと。

1936年2月26日「二・二六」。海軍と陸軍が対立。内戦の危機。
平泉澄が上野で秩父宮を止め、昭和は「反乱軍を鎮圧せよ」と命令。
このときツグノミヤが海軍に連れられバチカンに行き、ピオ11世の下
で、バチカンに残っていたビザンチン亡命政権の皇帝に指名される。  
 
同年12月12日、西安事件。蒋介石を張学良と楊虎城が拘束・軟禁。
蒋介石の共産党討伐作戦(囲剿作戦)に反対し、国共合作などを求めた。
https://ja.wikipedia.org/wiki/西安事件
南京から宋子文・宋美齢。延安から周恩来・葉剣栄があつまり、
内戦を止め、「国共合作」で、日本軍との対決に。
翌年1937年7月7日、盧溝橋事変。同年12月に日本軍が南京を占領。
ここからは、日独伊の三国同盟に向かいだすのですが、最大のキーパ
ーソンがイタリア大使の白鳥敏夫で、天皇大権を侵したとして昭和
天皇は戦後も最も憎んでいました。この人物のことを載せておきます。

《A級戦犯と呼ばれた英雄たち》ブログから転載します。

白鳥敏夫 ・・・駐イタリア大使。
戦前期における外務省革新派のリーダー的存在で、ソ連に対抗するため
の日独伊三国同盟の成立に大きな影響を与えた。
終戦後、連合国によって行われた東京裁判にてA級戦犯として起訴。
東京裁判に出廷したものの、喉頭癌によりかなり衰弱していた。
裁判では白鳥の活発な言論活動が戦争をあおったものであると指摘され、
終身禁固刑の判決が下ったが、半年後の1949年6月に死去した。
喉頭癌の為、裁判の後半はほとんど欠席していた。

裁判に出頭途中で外務省の吉田外相を訪ね、憲法改正に関する持論を
書き残している。その中に、またいかなる形でも外征を禁止すること、
良心的兵役拒否、国民の資源を軍事に使わないという一種の戦争放棄
的な条項も含まれており、それが日本国憲法第9条に影響を与えたと
白鳥の弁護人を務めた廣田洋二が述べている。

経緯
東京帝国大学法科大学(東大法学部)卒業後、高等文官試験・外交官
及び領事官試験に合格し、外務省に入省した。奉天・香港で領事官補
として勤務し、その後ワシントンD.C.の駐米大使館において勤務した。
1920年に外務省内に情報部が設置されると、白鳥は情報部員となる。
1930年に情報部長となったが、1931年には満州事変が勃発した。
白鳥は事変擁護の姿勢をいち早く打ち出し、国際連盟の批判に対抗する
ための外交政策の代表的役割を果たした。

事務総長のエリック・ドラモンド (16代パース伯爵)から内密に調停の
私案が日本側に提示された際、白鳥は独断でこれを公表し、いかなる
国際連盟の調停も拒否する姿勢を表明した。ドラモンドは不快感を示
し、国際連盟日本代表部は困惑することになった。
白鳥は事変の発生を佐官級の十数名が陸軍首脳を引っ張って発生させた
ものであると見ており、当初は満州独立を列国の同意が得られないと
して否定的に考えていた。しかし事変後には今の日本のスローガンは
「アジアに帰れ」であると主張するようになっている。

12月、事変後の混乱により第2次若槻内閣が倒れ、犬養内閣が成立した。
対満蒙実効策案審議会が設立され、白鳥は外務省代表メンバーとなった。

1932年に成立した満州国承認問題(注;リットン調査団)については
「別に急ぐこともないさ、運河を掘る訳じゃないからね(アメリカが
パナマ運河を建設するためパナマに傀儡政権を作り、直ちに承認した
ばかりだったことに対する皮肉)」と海外記者に伝えるなど、白鳥の
アメリカに対する態度は極めて挑発的であった。ウィリアム・キャメ
ロン・フォーブス駐日大使は白鳥を「悪玉(evil genius)」と評し、
後任となったジョセフ・グルーも「極秘裏に行った外交会談の内容を
独断で公表し、しかも誤った要約を行う」と評している。

さらに国際連盟脱退など軍部と連携して、英米に対する強硬外交を
推進し、そのための世論誘導に努めた。

1933年スウェーデン公使としてストックホルムに赴任。
白鳥は、英米を牽制するという見地からドイツとの防共協定自体に
賛成していたが、米英との対立はそれほど強調していなかった。

しかし、ソビエト連邦に対して激しく警戒しており、対ソ関係を「清
算」する、即ち対ソ戦争をも行う覚悟で交渉を行うよう主張していた。

1936年、日本に戻ってくるが、帰国してからの約2年間は閑職に置かれ
る状態だった。この時期白鳥は活発な言論活動を展開し、様々な論説を
発表している。日中戦争については日本と西洋に依存することを考えた
中国との間で思想的対立があったためであると主張し、日本側もその
真意を中国側に伝える義務を怠ったとしている。

日独伊連携強化を主張する若手外務官僚の間では「白鳥を外務次官に
せよ」との声が何度も挙がった。しかし外務省内で対立することが多い
白鳥は、省内で警戒して言うる人も多く、立ち消えになっている。
次官の代わりに提示されたイタリア大使のポストに赴任している。

日独伊三国同盟への関与
白鳥は大島と連携して防共協定強化、つまり日独伊三国同盟の推進を
図った。しかし三国同盟には反対派も多く、日本政府としては同盟は
あくまでソ連に対抗するためのものであり、英米に対してはイタリア
との連携によって牽制する程度の意味しかなかった。
しかしドイツは対象を限定しない一般的同盟を求め、白鳥と大島は
その代弁者となった。

白鳥は、日本側の目的達成よりも独伊の要求に沿うことで、同盟締結
を優先するよう主張していた。
本国の指示に従わない白鳥らに対し、若干譲歩するものの、同盟は
基本的にソ連を対象としたものであることを説明するよう訓令したが、
白鳥らはこれも無視した。

米内海相は、
「政府の命に従わぬ大使は辞めさすのが至当なるべし」としたものの、
政治状況は両大使を罷免できる状況ではないと嘆いている。
五相会議で「すぐに有効な軍事援助はできない」という意図を伝える
よう決定し、もし両大使が従わない場合は召還するという方針を決めた。

しかし白鳥らは訓令を拡大解釈し、独伊が英仏に対して宣戦する場合は、
日本も宣戦すると明言した。 この行為に天皇は、
白鳥らの行為が天皇大権を侵すものであると激怒している。

米内海相は両大使を召還するべきだと主張し、有田外相も日本の外交を
運営しているのは白鳥と大島だと、グルー米大使にこぼしている。

以降、五相会議は白鳥と大島に訓令を送らないことを決め、同盟交渉
は停滞することになった。
交渉の遅延にいらだったドイツの外相は「日本との同盟締結があまり
難航するなら、ソ連との不可侵条約を結ばざるを得まい」と恫喝まがい
の発言をした。
大島は単なるブラフと受け取ったが、白鳥はこれを本格的な警告と受け
取った。有田外相は白鳥の意見を聞き入れなかったが、独ソ不可侵条約が
締結された。

これにより三国同盟交渉は一旦白紙となったが、白鳥はこの頃から
日独伊にソ連を加えた同盟関係を志向するようになり、
「日独伊ソ四国によるユーラシアブロック構想」を考えるようになった。
日本では平沼内閣が総辞職した。
元老西園寺公望は次の内閣の課題として「一切の掃除を断行」し、
「大島・白鳥の輩を召還せしむるを可とす」と語っており、新任の野村
吉三郎外相は白鳥、次いで大島を召還し、革新派の栗原をスイス大使に
転出させた。
白鳥は第二次世界大戦に関して、当初からドイツ有利との見方をしていた。
第二次世界大戦の緒戦でドイツが快進撃を見せると、白鳥は「新秩序」が
到来すると主張し、ドイツと同盟を組むべきと強く主張し、「我国上層
部」を批判するようになった。

1940年には米内内閣が倒れ、第2次近衛内閣が発足した。
白鳥が外相となるという噂を米内が聞いていたように、白鳥外相を待望
する声は多かった。
しかし天皇が白鳥の外相就任に反対したため、外相となったのはかつて
白鳥の上司だったこともある松岡だった。
近衛や陸軍は白鳥を次官にするよう要望したが、松岡は大橋忠一を次官
とし、白鳥には外務省顧問の地位を与えた。

白鳥の言論は次第にユダヤ陰謀論的となり、
イギリスが参戦したのはユダヤ資本家のせいであると唱え、やがてユダ
ヤ人に支配されているアメリカとも戦わねばならず、日独伊三国同盟は
アメリカを戦争に引き入れるためのものだと主張するようになった。

1941年、白鳥は躁病の治療のために顧問を辞任、以降一年間は入院と
療養の生活を送ることになった。
それでも1942年には、衆議院議員に立候補し、当選している。
しかし、その後迷信めいたことを口走るようになり、
「誇大妄想狂」「まだ病気が治らない」などと揶揄されていた。

東京裁判
戦後、連合国側からA級戦犯指定を受けた。
東京裁判に出廷したものの、喉頭癌によりかなり衰弱していた。法廷
では、白鳥が在職期間中、侵略戦争拡大に向けた「最も有力な宣伝者」
となり、「量刑は彼の職務を考慮したものではなく、その行動が自身の
職務を超越し、重大な結果を招いたことによる。このため本法庭は彼を
(侵略戦争)共同謀議のリストに加えた。その罪はたいへん重い」とされた。

終身禁固刑の判決が下ったが、半年後の1949年6月に死去。
1978年10月17日、靖国神社の合祀祭にて昭和殉難者として合祀された。

<富田メモ>
小泉首相が靖国参拝する直前の2006年7月に日本経済新聞によりその存
在が報道された元宮内庁長官・富田朝彦がつけていたとされるメモ。
メモ全体の公刊や一般への公開はされていないが、昭和天皇の靖国神社
参拝に関する発言を記述したと報道された。
当時、小泉純一郎首相は任期の末年を迎え、「8月15日に靖国参拝する」
という公約を過去3年間果たしておらず、その動向が注目されており、
終戦記念日の8月15日に靖国神社に参拝するべきかどうかで議論が盛ん
であった。
メモによると、昭和天皇はA級戦犯が靖国に合祀されたこと、特に
「松岡外相と白鳥大使」に強い不快感を持ち、靖国に参拝しなくなった
ことなどが書かれているとされる。
しかし、高松宮・三笠宮の両親王は合祀後も靖国参拝を続けている。
また、このタイミングで誰が何の為に日経新聞に流して記事をかかせ
たのかが不明である。
・・・・・・・・・・・・転載終わり・・・・・・・・・・・・・

<特記事項>
白鳥は1949年に死んでいず、大陸の牢屋で監禁され続けたという説を
私は聞いたことがあります。日本が1932年リットン調査団を無視した
裏には、間違いなくこの人物の意志があるでしょう。そこにカバルの影を
感じます。

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この記事を書いた人

新井信介

新井信介

1957年長野県中野市生まれ。東京外国語大学(中国語専攻)から住友商事を経て独立。中国の改革開放に立ち会い、独立後は西欧世界にもネットワークを構築。地球史の視野で、国家・宗教・マネーの意味と構造を探り、個人の可能性(想像性・創造性)と、普遍的文化価値を探求している。そのために、『皆神塾』を主宰し、会員制の『瓊音(ヌナト)倶楽部』も立ち上げて、研鑽を深めています。