「宣明」後、国民代表「万歳三唱」の時、安倍総理が書したとされる「萬歳」の幟は既に天によって吹き飛ばされていた。皇国ファンタジーに取り憑つかれた幼稚な野心と愚鈍が消失したのならいいのですが。

即位礼正殿の儀で、新天皇が高御座に登って内外に即位を宣明するときに、
以下の三本の旗が、すでに風で吹き飛ばされていました。
・萬歳旛(安倍晋三筆)
・菊花章大錦旛
・菊花章中錦旛

時事通信が伝えています。
《万歳旛など落下=強風にあおられ-即位礼正殿の儀》 2019年10月22日15時56分(時事)
22日に行われた「即位礼正殿の儀」は雨天のため、皇居・宮殿の正殿前に広がる中庭には26本の旛だけが並べられたが、万歳旛など3本の旛が儀式開始前に強風にあおられ落下した。
午前11時35分ごろには、正殿に向かって右奥にある菊花章大錦旛が落下。しばらくして担当者が駆け寄り回収したが、再び掲げられることはなかった。
秋篠宮さまら皇族の入場が始まり、儀式開始まであと5分となった時には、同じく右側中ほどの菊花章中錦旛と、最前列の万歳旛が相次いで落ちた。
雨のため武官の装束姿の「威儀の者」や、太刀、弓、盾などの「威儀物」を持った宮内庁職員の数は大幅に減らし、宮殿の回廊などに控える「雨儀」と呼ばれる形式にしたが、強風が想定以上だった可能性もある。

・・・・・・・・・・・・・・・・
この3本の旗が落ちてから雨がやみ出し、陛下による宣明があり、そして、万歳三唱。
皇居には、虹が出てきました。
 天の意志が示された。 こう考えていいのではないでしょうか。

話が大きすぎて、うまくまとまらないままですが、以下、メモしておきます。

今回の儀式をテレビ解説するものがしきりに「伝統」と言っていましたが、これは、明治維新で実権を奪った伊藤博文や岩倉具視たちが遣欧使節から帰国後に、平安時代の儀式の形を引っ張り出して、明治の新天皇を「神聖不可侵」に見せるために、急ごしらえに造ったものです。
そのあとに、日本国民の定義を、記紀にある人間天皇の初代となっている神武天皇からの血を引く、としてしまったために、神武なる存在が実在したとするために、その墓を奈良の橿原にわざわざ造りにいった。そして、即位の日を「辛酉」年を捜して、BC660の2月11日としたのです。

日本国民とは、神武天皇の血をどこかで引いている、それが、皇民。皇民は、この物語を絶対の真実として、疑ってはならない、とした。
神仏分離令の後、日本全国にある各地の神社を記紀内容と伝承に基づいて再整理。この時、社殿の中に、ピカピカの鏡を置きだした。
それが「官幣」。

◎時系列に振り返りますと、
安政5年(1859) 日米修好条約から始まる、幕末の開国。
万延元年(1860) 咸臨丸 福沢諭吉『万国政策』
文久元年(1861) 福沢諭吉が遣欧使節に通訳で加わったのが、イギリス艦オーディン号で、このとき、まず、香港に行き、植民地主義・帝国主義の苛烈さと出会います。エジプトではスフィンクスも見た。
文久2年(1862)英国公使焼き討ち事件。この年12月に高杉晋作が上海行。
文久3年(1863)元旦、孝明天皇が上賀茂、下鴨で『攘夷祈願』。 
 4月18日(6月4日)幕府が馬関攘夷戦争を開始した2日後、伊藤博文を含む長州ファイブがジャーディンマセソンの船で極秘にイギリスに出発。
元治元年(1864)長州は攘夷を決行。下関戦争における4カ国連合艦隊との戦い
 7月19日(8月20日)禁門の変 諭吉は出陣を拒否。… 勝・五代・高杉は?
 8月18日 七卿落ち これに対し、幕府は長州征伐を命じる。
慶応2年(1866)6月、第二次長州征伐(四境戦争)
 これに対し、高杉は長州海軍総督として「丙寅丸」に乗船し戦闘指揮。 対岸の門司に上陸し、小倉城を攻めている7月20日に将軍・徳川家茂が死去する。…(島津斉彬が送り込んだ)篤姫による毒殺説。
 8月1日小倉藩が小倉城に火を放ち逃走したため、幕府軍の敗北が決定的となった。
 この情勢になって、岩倉具視が錦の御旗の製作に入った。
慶応3年(1867)8月になると豊橋で「ええじゃないか」が始まり、全国に広がる。「天から御札(神符)が降ってくる、慶事の前触れだ。」「お伊勢参りで、ええじゃないか」
・・・ここから大政奉還への動き。10月京都二条城で、慶喜が実施。。
しかし幕臣たちの抵抗が始まり、鳥羽伏見の戦いになる。
薩摩藩の本営であった東寺に錦旗が掲げられると慶喜が戦いを止めて大阪城に引き返し、フランス艦に乗って江戸に逃げる。
慶応4年(1868年)3月から4月(旧暦)にかけて、江戸城の無血開城。
 3月14日五箇条の御誓文が公布。新政府の設置。
慶応4年閏4月21日、太政官を中心に三権分立制をとる太政官制(七官制、政体書体制)。
明治2年、7月には、版籍奉還により律令制の二官八省を模した二官六省制が発足。
明治4年11月12日(1871年12月23日)から明治6年(1873年9月13日)維新政府は、西郷らを残して、不平等条約改正ならびに西洋の諸制度の研究をするため、岩倉具視を正使、大久保利通・木戸孝允・伊藤博文らを副使とする岩倉使節団を欧米へ派遣した。
このとき、荒れ果てた江戸城東の旗本屋敷の跡地を岩崎弥太郎がどんどん接収する。
伊藤・岩倉らの帰国で始まったのが、明治政府による「文明開化」。西欧の近代文明の窓口となったのが鹿鳴館。同じ頃、岩崎が作り上げたのが高輪の開東閣。

明治政府の人間や財界人が、「和魂洋才」といっても、このときの為政者は、「和魂」の本質や意味は基本的に無明で、ただ、記紀の記載に基づいて、日本は太古から続いていると強弁した。そして、新政府に対し、国民を絶対服従させた。
新天皇の神威を列島以外にも現実に広げるとして(実際は、岩崎の三菱が主導した国家の経済権益の拡大のために)、朝鮮半島の支配権を清国と争い勝利し、下関条約で賠償金を求めた。清国は関税権を担保にしてその資金を各国に公募する。このとき、清に対して最恵国待遇を持つイギリスの公使パークスから促されていたとおり、清国内での鉄道敷設に伴う鉱工業権を認めさせ、植民地化のきっかけを作った。その後、日英同盟を締結し、さらに遼東半島については1905年にロシアと争った。このとき、旅順にあった、713年に唐玄宗が渤海を冊封した記念碑を強引に持ち帰った。
 伊藤博文は李氏朝鮮の併合には反対だったが1909年にハルピンで暗殺され、1910年、明治政府は朝鮮を併合し、日本の皇室は李氏朝鮮を抱えて李王家にした。そしてすぐにソウルの檀君廟を破壊し、そこに皇祖神アマテラスを祀る朝鮮大神宮を建てた。
 以後、皇民、すなわち、神武の血をひく者=天皇の赤子を、半島や大陸にもどんどん増やしていく。
これが「皇民化」でした。
ここでは、皇国の事業遂行のために、皇民でも天皇から離れた位置にいるものは、皇民化(経済進出?侵略?)のための、単なる駒だった。まして、女性たちはこのときの皇民化の制度や進め方に、一切の疑問を述べることが許されなかった。
ここには、日本列島で育まれ研ぎ澄まされてきた、縄文からの精神性(霊性・悟性)も、西欧が宗教革命を経て数百年にかけて見つけ出し練り上げた、人間個人の尊厳を尊重する姿勢と主体的な自由な創造性は、当初はあったが、昭和に押しつぶされていった。
基本的には、明治の権力者による西欧に対する劣等感と、神国日本という虚構・妄想から始まっているのです。

初代総理大臣の伊藤博文は、明治天皇の神格化を進めた首謀者でしたが、朝鮮併合には反対でした。ハルピンで伊藤を暗殺した実行犯とされる安重根は、裁判の席で「伊藤博文は孝明天皇を殺害した」と告発したが、ハルピンでの銃弾は異なる方角から複数、撃たれていた。
伊藤の死によって、朝鮮併合を強引に推し進めようとする勢力が、日本の政界で力を持ちます。
詳しくは、https://ja.wikipedia.org/wiki/韓国併合

今回、安倍総理夫人が、白いミニスカートで、この令和の即位礼に列席したことが話題になっています。「白」の衣装は、皇后が着る十二単の色と決められていて、他の列席者は控えるべき、というのが不文律だったのを、あえて自分に耳目を集めさせるために、それを着たのでしょうか?
この二人と、その取り巻きの心に何があったにせよ、天は、そうしたものが、令和時代にも続けていいのか、その答えをお示しになった。
これが私の印象です。
さらに、鹿鳴館時代からの明治の国家権力と一体となって利権の追及確立に突き進んだのが、三菱ムラで、その時以来の集会所は、高輪の開東閣で今も残っています。福沢諭吉と岩崎弥太郎が思想的にも組んだ時から日本近代の資本主義が始まり、ここがフリーメーソン思想をたっぷりと取り込んで、金融ワンワールドからの指令が出されていました。

明治の皇国日本に飲み込まれた李氏朝鮮の関係者は、戦後になっても、列島に残ったままのものたちは、アメリカの進駐軍が来て占領政策を進めるとすぐにそこに取り入りながらも、密かに皇国日本の権威と権力構造の継続を願い、その権力の中に入り込み、利権を求めていました。彼らは、常に戦前の夢を、戦前の野蛮な道徳基準のままで、21世紀になっても追求しようとして、列島民の完全支配を、戦争屋に使嗾されながら目論んだのでしょう。
しかし、それが、世界では、どうなのか?地球規模ではどうか? 日進月歩するのが人類です。
天から見て、人類として、どうなのか? 
結論が出ましたね。

『瓊音倶楽部』『皆神塾』のご案内

何のために、私たちはこの世に存在するのか?
この問いは、6000年前に文明が始まった時から続いています。
瓊音倶楽部では、この問いに対して、人体(機能)と心(魂)からなる「人間」を見つめます。
人類は、文明を生み出しましたが、それによって生きている人間の喜びが、つぶされては意味がありません。
どんなに喜び、生きるのか?私たちは、皆さんと一緒になって考えていきます。(注)「瓊音」とは、全てのイノチのヒビキのことです。

『皆神塾』:文明アナリスト・新井信介を中心に、隔月で開催する勉強会です。時事問題から、歴史、経済、宗教等々様々な分野の問題を解き明かしていきます。

(注)『皆神塾』は隔月で開催しており、講演内容はDVDに収録して販売しております。
詳細については「瓊音ショップ」をご覧ください。

『瓊音倶楽部』:会員制(有料)で、毎月1回情報誌をお届けしています。
「皆神塾」や「ブログ」などでは、お伝えできないようなオフレコ情を含めて、「明確で強いメッセージ」を会員限定でお届けしています。

また、月次でレポートをお届けするだけではなく、様々な特典がございます。詳細については、以下の「瓊音倶楽部のご案内」(PDFファイル)をご覧ください。
》瓊音倶楽部のご案内(PDFファイル)

「皆神塾」「瓊音倶楽部」についてご興味のある方、ご不明な点がございましたら、下記問い合わせフォームよりお気軽にご連絡ください。
》お問い合わせ

『皆神塾(東京)』(10月20日開催)のDVDをキャンペーン価格で好評販売中です!!

10月20日に「東京」で開催した新井信介講演会『皆神塾(東京)』のDVDをキャンペーン価格で好評販売中です!! 今回の講演はよく整理され非常にわかりやすい内容で、必見です!! 是非、キャンペーン中にご購入の上、ご覧ください!! 超おすすめDVDです!!

現在、このDVDをキャンペーン価格で販売中です。DVDの内容などの詳細については、次のリンクからご覧ください。→ 【新井信介講演会:『皆神塾(東京)』DVD】(2019年10月20日開催)

DVDのご注文やお問い合わせは、担当の室伏までご連絡ください。
連絡先→
TEL: 03-3548-1025 FAX:03-3548-1026
携帯: 090-5804-5078
E-mail:akimasa-murofushi@jcom.home.ne.jp

この記事を書いた人

新井信介

新井信介

1957年長野県中野市生まれ。東京外国語大学(中国語専攻)から住友商事を経て独立。中国の改革開放に立ち会い、独立後は西欧世界にもネットワークを構築。地球史の視野で、国家・宗教・マネーの意味と構造を探り、個人の可能性(想像性・創造性)と、普遍的文化価値を探求している。そのために、『皆神塾』を主宰し、会員制の『瓊音(ヌナト)倶楽部』も立ち上げて、研鑽を深めています。