一気に秋風。9月23日秋分。列島の統治『菊』がイノチのリアルな響きから離れ、清末から民国・共産革命と流転した大陸「中華」と同じ道程を辿っているよう。『秋意濃』の旋律が響く。

世界最大の産油国サウジの給油施設が破壊される。しかし、アメリカのトランプ政権は、下手人と非難しながらも、そのイランのロウハニ大統領にビザを発行。イスラエルでは、ネタニヤフを完全排除する動き。

米ドルと原油からなる、戦後秩序の全面溶融が始まりましたね。
これまでの国際政治の枠組みが急速に溶けています。

夫々の国には、自分にとっての課題があるのですが、
マネー経済・企業利益最優先、特に政権の内輪の人間の利益しか見ない国家は、どこで、その国はどこに向かうのでしょう。

私の住む山国の信州では今朝の気温は15度。すっかり秋風が吹き始めました。
今年の秋分は23日午後4時過ぎですが、私には、明治以来の統治体への秋風どころか、不比等が創り出した「列島だけの安寧」を言う「皇国」が完全に溶けだしているとの感覚が始まりました。

2年前に、本欄で紹介した「秋意濃」の旋律が脳裏に流れてきます。
http://nunato-net.check-xbiz.jp/post_504/
https://www.youtube.com/watch?v=YhoVvaYMel4

秋分から12月22日の冬至まで、列島にはとんでもない大きなドラマがあるように思えてなりません。大嘗祭の後の11月25日、ローマ法王フランシスコはどんなメッセージを持ってくるのでしょう。

ちなみに皇室の紋とされる菊は、英語で、Chrysanthemum morifolium…キリストの花です。
日本で初めて菊が書物に登場したのは平安時代に書かれた歴史書『類聚国史(るいじゅこくし)』。そこには宮中で催された宴で、桓武天皇が詠った歌が載っています。
「このごろの しぐれの雨に菊の花 散りぞしぬべき あたらその香を」

城南宮で曲水の宴が始まり、重陽の節句で菊をたのしむ習慣も始まった。
平安京は、唐代までの中華文化をどんどん「日本流に」摂り入れました。
しかし、この時には、縄文からの伝統でもあった勾玉は完全に民間には無くなり、玉信仰の習慣自体も消えていました。いや、この平安貴族が「玉」のもつ響きを列島民が感じることを怖がり、捨てさせたのです。

桓武が菊を愛でて以来、菊はいろんな紋にデザインされ、何人かの天皇たちに好まれましたが、
フラシスコ・ザビエルが大分から離日した後、何の経緯か、毛利元就に対し、正親町天皇が、自らの即位での衣装代を出してくれたお礼に、菊紋をあげたという記録があります。このときの菊の花が、どんなデザインの紋だったのかは不明です。
ただ、このときには、菊は「キリストの花」との意味を持っていたかもしれませんね。戦国の動乱の中、多くのキリスタン大名が生まれました。江戸時代、長崎の出島を通じて、キリスト教の西欧世界とはずっと文化交流もあったでしょう。キリスト教徒だった細川ガラシャの生涯は、ハプスブルクの王宮で、歌劇にして歌われていたほどでした。
 また、光圀が列島の統治体の歴史を再編集するときに、上記の桓武の歌や、正親町の故事をもとに、菊紋を天皇の正統性と結びつけたのではないか、と考えられますが、
それが、諸侯連合である徳川幕府を国家改造し、中央集権の近代国家するという明確な意志になったのは、天保年間に雷電神社が改築される時だったでしょう。
雷電神社に左甚五郎の10世孫が呼び出され、新築の社殿に見事な彫刻を施し、奥宮にイザナミを祀る一方、聖徳太子像を作らせた。
で、このあとに、関東では「お伊勢参り」で、「ええじゃないか」の伊勢神社に対する崇敬運動が始まりました。

明治維新政府の初代文部大臣.森有礼は薩摩弁が抜けきれない人間で、日本国民をすべて英語にしろ、と言っていましたが、明治22年(1889年)2月11日の大日本帝国憲法発布式典の日、官邸を出た所で国粋主義者・西野文太郎に短刀で脇腹を刺殺された。
当時の新聞は、「ある大臣が伊勢神宮内宮を訪れた際、社殿にあった御簾をステッキでどけて中を覗き、土足厳禁の拝殿を靴のままで上った」と報じ(伊勢神宮不敬事件)問題となったと伝えていた。
以後、「神聖不可侵の天皇」=アラヒトカミは、政治的に成長し、強化されていったのです。日清・日露戦争のあと朝鮮を併合し、第一次大戦後の1921年、皇居の西に、バチカンのイエズス会の大学、上智大学ができました。ここの神学部教授はバチカン大使として、半蔵門をいつも潜っていたのです。

 天皇が人間宣言して始まった戦後になっても、伊勢を中心とする国家の「権威」と「統治体制」そのまま残り、しかも、ヘンナモノに取り憑かれ、この統治体は、天地自然と人間の心をつなぐ「見えない糸(根源的紐帯)」を全く感じ取れない人間たち(?)に乗っ取られたままです。
もう、列島に生きる人間の、イノチの叫びの集積である「文化体」と、国家権力とが完全に乖離しています。今の国家権力は、これまでの利権維持とそこへの「忖度」ばかりで、列島に生きる人間の全ての営みの基盤である「文化体」が消えかけていることに全く意識も知覚も及ばないのです。

私は今、本気で実現を願っています。科学性で裏うちされた「結(ゆい)」をつくろうと。
単なるサンクチュアリーじゃだめだ。老若男女、弱者も強者も集いあい、ともに暮らせる構造の建造物も必要だと。その実現のために、人間世界のエネルギー=マネーが流れこむ仕組みを作らないと、と。
こう考えだした時、マラキの予言では最後のローマ法王にあたるとされる、バチカンの第112代フランシスコが来る。https://ja.wikipedia.org/wiki/全ての教皇に関する大司教聖マラキの預言
その前、11月23日、24日、白馬会議が開かれます。
「令和の青写真を描く」がテーマですが、わたしには、今の財界・官界・メディアが考えている「都合のいい話」の延長線上には、とてもじゃないですが青写真を描けません。

だから、中国語の「秋意濃」が響くのです。https://www.bing.com/videos/search?q=%e7%a7%8b%e6%84%8f%e6%bf%83&&view=detail&mid=F03BBA9D00893808D244F03BBA9D00893808D244&&FORM=VRDGAR

PS:玉置浩二の「行かないで」の旋律は、日本のテレビドラマ「李香蘭」が中国で放映されたときに、中国の民衆は初めて耳にしました。映像の中に1980年代の北京が残っていると話題のドラマであり、満州国時代の回顧とも重なっているようです。

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この記事を書いた人

新井信介

1957年長野県中野市生まれ。東京外国語大学(中国語専攻)から住友商事を経て独立。中国の改革開放に立ち会い、独立後は西欧世界にもネットワークを構築。地球史の視野で、国家・宗教・マネーの意味と構造を探り、個人の可能性(想像性・創造性)と、普遍的文化価値を探求している。そのために、『皆神塾』を主宰し、会員制の『瓊音(ヌナト)倶楽部』も立ち上げて、研鑽を深めています。