ローマ教皇(法王)とシュレッダー。悪だくみがバレて、もうできなくなって、しかも、政権も危うくなって。

ローマ法王の来日までに、列島内の「悪だくみ」の巣を壊滅させておけ。

こんな指令が出ていたのかどうか?

まず、長崎のメッセージ;
NHK WEBニュース 2019年11月24日 15時04分
ローマ・カトリック教会のフランシスコ教皇は長崎市の爆心地公園でスピーチを行い、「この場所は私たち人間がどれだけひどい苦痛と悲しみをもたらすかを深く認識させる」と述べて、核兵器の非人道性を強く非難しました。そのうえで「核兵器や大量破壊兵器を持つことは平和や安定につながらずむしろさまたげになる」と述べて核兵器のない世界の実現に向けて各国政府をはじめ、全ての人が一致団結して取り組むことを呼びかけました。
ローマ教皇として38年ぶりに日本に滞在しているフランシスコ教皇は24日朝、長崎市の爆心地公園を訪れました。雨が降りしきる会場では、レインコートを着て待ち受けていた参加者が見守るなか、フランシスコ教皇は、平和の記念碑の前で深々と頭をたれて献花し、犠牲者に黙とうをささげました。

このあとスピーチを行ったフランシスコ教皇は「この場所は私たち人間がどれだけひどい苦痛と悲しみをもたらすかを深く認識させる」と述べて核兵器の非人道性を強く非難しました。
そして「核兵器や大量破壊兵器を持つことは平和や安定につながらずむしろさまたげになる」と指摘し、核兵器を持つことが安全保障につながるという考えは、恐怖と相互不信に基づく誤った認識だとして批判しました。
そして、核兵器禁止条約を含め核兵器と軍備の削減に向けて各国に引き続き働きかけていく考えを示しました。
さらに
武器の製造や開発に多額の費用が費やされるのは「途方もないテロ行為」だとしたうえで、
貴重な財源は貧困対策や自然環境の保護にこそ使われるべきだとしています。

そのうえで、フランシスコ教皇は「新しい兵器の技術開発が進む中でわたしたちは多国間主義の衰退が事態を深刻化させているのを目の当たりにしている」と述べ国家間の相互不信の広がりが、兵器を規制する国際的な取り組みを崩壊させかねず、食い止める必要があると訴えています。

そして「核兵器から解放された平和な世界こそが、数え切れない全ての人が強く求めるものだ」と述べ、核兵器のない世界の実現に向けて核の保有国、非保有国をとわず各国政府をはじめ、全ての人が一致団結して取り組むことを呼びかけました。

次に広島では

<広島 平和公園でのスピーチ> 平和記念公園にて、
2019年11月24日、
「わたしはいおう、わたしの兄弟、友のために。『あなたのうちに平和があるように』」(詩編122・8)。
あわれみの神、歴史の主よ、この場所から、わたしたちはあなたに目を向けます。死といのち、崩壊と再生、苦しみといつくしみの交差するこの場所から。
ここで、大勢の人が、その夢と希望が、一瞬の閃光と炎によって跡形もなく消され、影と沈黙だけが残りました。一瞬のうちに、すべてが破壊と死というブラックホールに飲み込まれました。その沈黙の淵から、亡き人々のすさまじい叫び声が、今なお聞こえてきます。さまざまな場所から集まり、それぞれの名をもち、なかには、異なる言語を話す人たちもいました。そのすべての人が、同じ運命によって、このおぞましい一瞬で結ばれたのです。その瞬間は、この国の歴史だけでなく、人類の顔に永遠に刻まれました。
この場所のすべての犠牲者を記憶にとどめます。また、あの時を生き延びたかたがたを前に、その強さと誇りに、深く敬意を表します。その後の長きにわたり、身体の激しい苦痛と、心の中の生きる力をむしばんでいく死の兆しを忍んでこられたからです。
わたしは平和の巡礼者として、この場所を訪れなければならないと感じていました。激しい暴力の犠牲となった罪のない人々を思い出し、現代社会の人々の願いと望みを胸にしつつ、じっと祈るためです。とくに、平和を望み、平和のために働き、平和のために自らを犠牲にする若者たちの願いと望みです。わたしは記憶と未来にあふれるこの場所に、貧しい人たちの叫びも携えて参りました。
貧しい人々はいつの時代も、憎しみと対立の無防備な犠牲者だからです。

わたしはつつしんで、声を発しても耳を貸してもらえない人々の声になりたいと思います。
現代社会が直面する増大した緊張状態を、不安と苦悩を抱えて見つめる人々の声です。
それは、人類の共生を脅かす受け入れがたい不平等と不正義、わたしたちの共通の家を世話する能力の著しい欠如、また、あたかもそれで未来の平和が保障されるかのように行われる、継続的あるいは突発的な武力行使などに対する声です。

確信をもって、あらためて申し上げます。
戦争のために原子力を使用することは、現代において、犯罪以外の何ものでもありません。
人類とその尊厳に反するだけでなく、わたしたちの共通の家の未来におけるあらゆる可能性に反します。原子力の戦争目的の使用は、倫理に反します。核兵器の保有は、それ自体が倫理に反しています。それは、わたしがすでに2年前に述べたとおりです。これについて、わたしたちは裁きを受けることになります。次の世代の人々が、わたしたちの失態を裁く裁判官として立ち上がるでしょう。平和について話すだけで、国と国の間で何の行動も起こさなかったと。戦争のための最新鋭で強力な兵器を製造しながら、平和について話すことなどどうしてできるでしょうか。差別と憎悪のスピーチで、あのだれもが知る偽りの行為を正当化しておきながら、どうして平和について話せるでしょうか。

平和は、それが真理を基盤とし、正義に従って実現し、愛によって息づき完成され、自由において形成されないのであれば、単なる「発せられることば」に過ぎなくなると確信しています。(聖ヨハネ23世回勅『パーチェム・イン・テリス―地上の平和』37〔邦訳20〕参照)。
真理と正義をもって平和を築くとは、
「人間の間には、知識、徳、才能、物質的資力などの差がしばしば著しく存在する」(同上87〔同49〕)のを認めることです。
ですから、自分だけの利益を求めるため、他者に何かを強いることが正当化されてよいはずはありません。
その逆に、差の存在を認めることは、いっそうの責任と敬意の源となるのです。
同じく政治共同体は、文化や経済成長といった面ではそれぞれ正当に差を有していても、「相互の進歩に対して」(同88〔同49〕)、すべての人の善益のために働く責務へと招かれています。

実際、より正義にかなう安全な社会を築きたいと真に望むならば、武器を手放さなければなりません。「武器を手にしたまま、愛することはできません」(聖パウロ6世「国連でのスピーチ(1965年10月4日)」10)。
武力の論理に屈して対話から遠ざかってしまえば、いっそうの犠牲者と廃墟を生み出すことが分かっていながら、武力が悪夢をもたらすことを忘れてしまうのです。武力は「膨大な出費を要し、連帯を推し進める企画や有益な作業計画が滞り、民の心理を台なしにします」(同)。

紛争の正当な解決策として、核戦争の脅威による威嚇をちらつかせながら、どうして平和を提案できるでしょうか。
この底知れぬ苦しみが、決して越えてはならない一線を自覚させてくれますように。
真の平和とは、非武装の平和以外にありえません。
それに、「平和は単に戦争がないことでもな〔く〕、……たえず建設されるべきもの」(第二バチカン公会議『現代世界憲章』78)です。
それは正義の結果であり、発展の結果、連帯の結果であり、
わたしたちの共通の家の世話の結果、共通善を促進した結果生まれるものなのです。
わたしたちは歴史から学ばなければなりません。

思い出し、ともに歩み、守ること。この三つは、倫理的命令です。
これらは、まさにここ広島において、よりいっそう強く、より普遍的な意味をもちます。
この三つには、平和となる道を切り開く力があります。
したがって、現在と将来の世代が、ここで起きた出来事を忘れるようなことがあってはなりません。記憶は、より正義にかない、いっそう兄弟愛にあふれる将来を築くための、保証であり起爆剤なのです。すべての人の良心を目覚めさせられる、広がる力のある記憶です。
わけても国々の運命に対し、今、特別な役割を負っているかたがたの良心に訴えるはずです。これからの世代に向かって、言い続ける助けとなる記憶です。二度と繰り返しません、と。

だからこそわたしたちは、ともに歩むよう求められているのです。
理解とゆるしのまなざしで、希望の地平を切り開き、現代の空を覆うおびただしい黒雲の中に、一条の光をもたらすのです。希望に心を開きましょう。和解と平和の道具となりましょう。それは、わたしたちが互いを大切にし、運命共同体で結ばれていると知るなら、いつでも実現可能です。
現代世界は、グローバル化で結ばれているだけでなく、共通の大地によっても、いつも相互に結ばれています。共通の未来を確実に安全なものとするために、責任をもって闘う偉大な人となるよう、それぞれのグループや集団が排他的利益を後回しにすることが、かつてないほど求められています。

神に向かい、すべての善意の人に向かい、一つの願いとして、原爆と核実験とあらゆる紛争のすべての犠牲者の名によって、心から声を合わせて叫びましょう。戦争はもういらない! 兵器の轟音はもういらない! こんな苦しみはもういらない! と。
わたしたちの時代に、わたしたちのいるこの世界に、平和が来ますように。神よ、あなたは約束してくださいました。「いつくしみとまことは出会い、正義と平和は口づけし、まことは地から萌えいで、正義は天から注がれます」(詩編85・11-12)。
主よ、急いで来てください。破壊があふれた場所に、今とは違う歴史を描き実現する希望があふれますように。平和の君である主よ、来てください。わたしたちをあなたの平和の道具、あなたの平和を響かせるものとしてください!
「わたしはいおう、わたしの兄弟、友のために。『あなたのうちに平和があるように』」(詩編122・8)。

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この記事を書いた人

新井信介

1957年長野県中野市生まれ。東京外国語大学(中国語専攻)から住友商事を経て独立。中国の改革開放に立ち会い、独立後は西欧世界にもネットワークを構築。地球史の視野で、国家・宗教・マネーの意味と構造を探り、個人の可能性(想像性・創造性)と、普遍的文化価値を探求している。そのために、『皆神塾』を主宰し、会員制の『瓊音(ヌナト)倶楽部』も立ち上げて、研鑽を深めています。